ジル・ドゥルーズ『記号と事件』
本書は、二十世紀フランスの哲学者ジル・ドゥルーズの対談集であり、格好のドゥルーズ入門書です。
本書の副題として「1972-1990年の対話」とあり、肺の病を患い95年に自ら死を選んだ哲学者が、難解な哲学について自らの考えを質問者に対して応えるというかたちで述べています。
『アンチ・オイディプス』『ミル・プラトー』などの共著者フェリックス・ガタリとの主要著作は難解を極めますが、本書では著者の話し言葉によってその哲学概念がわかりやすく語られます。
そのため上記の主要著作を読もうとして全く歯が立たなかった筆者も、おぼろげに概念をつかむことができ、再度読解に挑戦しようという気になりました。
内容は、主要著作に関するもの、映画をめぐる哲学、フーコー論などであり、最後のⅤ章には「政治」と題されたものが置かれています。
その中の「追伸ー管理社会について」という文章は、とても分かりやすく面白く刺激的な内容となっています。
文章を抜粋して引用します。
”管理の計数型言語は数字でできており、その数字があらわしているのは情報へのアクセスか、アクセスの拒絶である。いま目の前にあるのは、もはや群れと個人の対ではない。
分割不可能だった個人(individus)は分割によってその性質を変化させる「可分性」(dividuels)となり、群れのほうもサンプルかデータ、あるいは、マーケットか「データバンク」に化けてしまう。”
いまだインターネットが普及していないなか、当時としてはある種謎めいた文章とも思われていたようです。
個人の行動が、GPS、SNS、購買等々あらゆる面で記録されていきビッグデータとして蓄積され、とてつもない管理社会に移行した現在からすると、1990年当時すでに将来を的確に予見していた哲学者の凄みを感じることができます。
文章:増何臍阿