コラム

小説:『彼女との約束(5)』

 

前回まで

小説:『彼女との約束(1)』

小説:『彼女との約束(2)』

小説:『彼女との約束(3)』

小説:『彼女との約束(4)』

 

前回からの続き

 

 十両昇進なるか

 五枚目に位置しているとあってか、これまで以上に緊張感に包まれていた。勝ち越し次第で、関取の見える地位にいるからだと思われる。

 初戦の相手は普天豪だった。先場所に十両の壁に跳ね返されて、幕下に降格した力士だ。

 対戦相手はちょっとばかしの悲壮感を漂わせていた。十両と幕下では天国と地獄ほど異なるといわれており、心の整理をつけられていないように感じられた。

 心は万全ではないとはいえ、十両に上がった実力者であることは間違いない。夢桜は心して、かかっていこうと思った。

 夢桜は会心の相撲を取り、関取昇進のかかった場所の初戦を白星で飾ることとなった。この調子で頑張っていけば、関取昇進も現実となりうる。

 二番相撲の相手は琴稲妻。三年前は大関だったものの、怪我により番付を三段目まで落とすこととなった。復帰後は怪我と向き合いながら、相撲を取り続けている。

 大関時代の実力をそのまま発揮すれば、全勝優勝は容易である。それにもかかわらず、先場所は五勝二敗だった。怪我は完全に治っていないと思われる。

二番相撲においては塩を用意されていた。普段は準備されてないだけに、戸惑いを隠せなかった。

幕下以下は原則として塩をまかないものの、取り組みが早すぎる場合は時間調整のために稀に用意されることもある。対戦の前に一~二回ほど塩をまく。

 普段とは異なる所作に意識を取られてしまったのか、二番相撲はあっという間に押し出されてしまった。星は一勝一敗の五分に戻ることとなった。

 幕下の五枚目以内の取組で感じたのは、誰もが関取に上がりたいという目標を持っているところ。実力は拮抗しているので、一人前になりたいという思いが勝敗を左右する世界なのかもしれない。

 六番相撲を終えて、三勝三敗の成績を残していた。幕下上位、十両の下位の力士の成績はよいとはいえず、七番相撲に勝利することで関取の地位も充分にありえる展開だった。

 上位の成績が芳しくなかったのは、日替わりで十両に上がる力士がいたこと。休場で十両の人数が奇数になった場合は、一日に一人は上で相撲を取ることになる。上位の壁に阻まれて黒星を重ねるケースも少なくない。

 十両の下位の力士は幕下との対戦には勝利を収めるも、十両同士の対戦で黒星を重ねていた。十両では下位に位置していても、上位と相撲を取ることは珍しくない。

 七番相撲で関取昇進の可能性を残す幕下力士は、十両との対戦が組まれやすい。十両、幕下における実質的な入れ替え戦といわれる。

 夢桜は七番相撲で十両の力士と対戦することになった。対戦相手の春錦は西の一二枚目で六勝八敗となっており、勝たなければ幕下降格という状況だった。実質的な入れ替え戦といえよう。

 幕下の力士であっても、十両と対戦するときは大銀杏を結うとされている。夢桜は人生で初めて、大銀杏を結って土俵に上がることとなった。

十両の取り組みでは力水をつけ、塩を何回もまく。一人前と認められているだけあって、めていた。夢桜も十両に昇進すれば、ピンク色にしたいという思いを膨らませていた。

 春錦は青色の廻しを占めていた。十両は幕下以下と違い、自由に廻しを決められる。

 夢桜は相手の廻しを見ながら、自分もいつかは異なる色にしたいと思った。幕下以下の統一されたタイプから早く卒業したい。

 七番相撲で最後の塩をまいている最中、頭は真っ白になってしまった。自分はこれから相撲を取るのを忘れるくらい、会場の空気に呑まれた。

 相撲は勝負にならなかった。土俵際で懸命に粘るも、寄り切りで敗れてしまった。夢桜の十両挑戦は翌場所以降にお預けとなってしまった。幕下五枚目による負け越しなので、来場所は全勝しない限りは関取に上がることはない。

 

 関取を目指す

夢桜は前相撲から18場所目で、番付を自己最高位の西幕下二枚目にあげた。

 先場所は西の五枚目で五勝二敗と勝ち越したものの、十両から落ちてくる人数は少なかったため、十両昇進とはいかなかった。番付運に阻まれた格好となった。

 十両に上がれなかったものの、上位で五番勝てたのは自信となる。来場所も同じレベルの成績を残せば、おそらく関取に上がれるのではなかろうか。

 桜と交わした三年以内に関取になる約束は果たせなかった。交際については、自動的にリセットされる。関取に昇進したとしても、新しい彼女を探す必要性に迫られる。

 夢桜は心の中のショックを吹き飛ばすことにした。女性は多数いるため、彼女と結婚できなくてもどうにかなる。一人のために、人生を台無しにするわけにはいかない。

 関取になったあかつきには、四股名も変更しようかな。一人の女性に未練を残しても、前に進むことはできない。

 夢桜は本番前の仕上がりにかかっていた。柔軟体操、四股を踏むことに重点を置いたからか、身体の調子はすこぶるよかった。自分の積み上げてきた稽古量は絶対に嘘をつかない。

 四股を熱心に踏んでいると、横綱に昇進したばかりの沖ノ島から声をかけられた。彼は先場所、先々場所において大関の地位で14勝1敗の連続優勝を成し遂げた。横綱昇進の基準を満たしたことで、第××横綱となった。

「夢桜、俺と稽古してみないか」

 横綱の胸を借りるのは光栄以外何物でもない。夢桜は最敬礼をしてから、自分の思いを伝えた。

「お願いします」

 横綱の胸を借りるとあってか、部屋はざわつくこととなった。

「どこからでもいいからかかってこい」

 横綱は仁王立ちしていた。俺は逃げも隠れもしないから、どこからでもかかってこいといわんばかりだった。

 夢桜は渾身の力をぶつけるも、横綱はびくともしなかった。人間のはずなのに、巨大トラックみたいに重かった。

 十回ほど突っ張った直後に、沖ノ島に胸を一突きされた。夢桜はバランスを崩し、土俵に倒れてしまった。

 沖ノ島は手を差し伸べたのち、感想を簡潔にいった。

「力はつけているようだけど、関取としてやっていくには厳しいな。これまで以上に稽古に励まないと、上位で勝つのは難しい」

 横綱からの言葉は重みが違った。部屋の他の力士全員を足し合わせるよりも、説得力を伴っていた。

「高校まで相撲をやっていなかったにしては、腕っぷしはかなりのものといえる。丹念に稽古をしているのがはっきりと伝わってくる」

「相撲経験者でないことがどうしてわかるんですか」

「わんぱく相撲、学生相撲などをやると型を知らず知らずのうちにつけてしまう。お前にはそれがなかったから、相撲経験者でないことはすぐに分かった」

 人間は長年やっていくと、無意識のうちにクセをつけてしまうもの。悲しいかもしれないけど、その運命にあらがうことはできない。

「相撲経験もないのに、わずか一年で幕下に上がったときはびっくりした。こいつはとんでもない逸材であると感じさせた」

 幕下に上がれないまま引退する力士も半分以上はいる。給料こそもらえないものの、それなりの才能、努力をしないと辿りつけない地位なのである。

「幕下で足止めしたものの、お前は上位に行く素質を持っている。稽古を積んで這い上がっていけ」

 横綱の言葉は胸に突き刺さることとなった。同時にこんなところで、足踏みをしてはいけないと強く思うようになった。

 

次回へ続く

 

文章:陰と陽

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