時事問題

阪神淡路大震災から25年が経過した

 

   阪神淡路大震災から25年が経過した。

 阪神淡路大震災では近畿圏で大きな被害があった。震源に近い神戸市市街地(東灘区、灘区、中央区(三宮・神戸ポートアイランド等) 兵庫区、長田区、須磨区)の被害は甚大だった。

 犠牲者(地震による死者)は6434人に達し、戦後としては東日本大震災に次ぐ被害規模となった。

 宙吊りさながらの状態になったバスがテレビで映し出されていた。一秒ずれていたら全員助からなかったかもしれない。地震のタイミングによって生死を分けた人も少なくないのではなかろうか。

 当時、筆者は兵庫県の北部に住んでいた。激しい揺れに襲われたのを鮮明に覚えている(震度5程度)。人生史で最も大きな揺れだったのは間違いない。

 母方の祖父、祖母が神戸に住んでおり、コップが数個破損したといっていた。祖父は自宅にいたから助かったものの、地震の時間がずれていれば犠牲者となっていた可能性は充分にある。

 復興によって家などが修復したとしても、人間の失われた心は完全には戻らない。25年前の地震に苦しんでいる人たちは、どのような心境で残りの人生を送っているのだろうか。

 遠くからでも構わないので、犠牲者の皆さんに黙とうを捧げてみよう。わずかにしかならなくとも、心が癒されるかもしれない。

 

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200117-00010000-suntvv-l28

©阪神淡路大震災25年 県内各地で追悼行事営まれる(サンテレビ) – Yahoo!ニュース

 

※使用した画像は実際の画像ではありません。参考画像です。

 

文章:陰と陽

関連記事

  1. 幼児遺棄事件
  2. マスクはタイミング次第で購入可能
  3. you tuberが666万円分のロト6を購入した
  4. 兵庫県尼崎市の小学校でコロナウイルス陽性の教員が出勤
  5. 第3塁医薬品に指定されているうがい薬を転売すると罪に問われる
  6. ダイヤ改正までに快速特急、特急以外の3000系に乗車しよう
  7. コロナ自粛は別の意味の危険性を伴う
  8. 笑点の林家三平さんが卒業

おすすめ記事

世界の国と国旗☆第61回目 コスタリカ共和国

皆様こんにちはLewis Abe(ルイス アベ)です。いつも…

目が覚めれば

目が覚めれば、どうってことのない一日が始まっていた。俺は、煙草に火をつけて、大きく息を吐いた…

『教えて』―生きる意味って何?-

何のために…生きているの?何のために…&…

就労移行を利用してから、どれくらいで就職できるのかを表示している事業所がある

 就労移行事業所からどれくらいの期間で就職できるのかは、利用者にとって一番気にかかる…

自由を手に入れた人間

今、人は、自由という最高の宝物を手に入れました。奴隷…

新着記事

PAGE TOP