宗教上の理由で、NHKの朝の連ドラがとても苦手です(挨拶)。
と、いうわけで、フジカワです。
これを書いている今現在、梅雨入りの発表があり、「んあー」と湿っぽい気分になる今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。
今回の記事は、「タイパ? 鼻で笑うぜ!」とかいった話です。
本題の前の、予防線。
さて。今回の記事、下手すれば、「昭和世代のオッサンによる、意味のないZ世代のディスり」になりかねないことは、先に予防線を張っておきます。
以前、別の記事で言及しましたが、「理解出来ないものを、とりあえず全否定して、己の無知と怠惰を正当化する」というのは、大変愚かなことです。
が、しかし、僕の世代からすると、どーしても、Z世代特有のある考え方に、違和感を覚えざるを得ない。
ここで取り上げたところで、めざましい影響力を発揮できるわけでもないですけれども、一つの意見として、ご覧頂ければ。
効率は大事である、が。
で、ですね。Z世代の何に違和感を覚えるか? なんですが、それは、彼ら彼女らが、やたらと「タイパ」、つまり「タイムパフォーマンス=時間対効果」を気にしていることです。
一頃、著作権が問題になりましたが、本編を圧縮して数分にまとめた、「ファスト映画」なんか、その筆頭です。
「短い時間で、最大限の効果を得たい」という欲求は、一見、正しいように思えます。
が、しかし。少なくとも、エンタメ、芸術に関しては、まるっきり意味のないことです。
僕ごときが言うまでもないことですが、映画であろうが、テレビドラマであろうが、演劇であろうが、「セリフのニュアンス」や、「間(ま。あるいは、あいだ)の意味」があります。
小説で言うなら、「言い回しの語彙」、「行間」、あるいは、「段落変え」の意味、になるでしょうか?
要は、「言葉では表せない感情、情感」というのが、厳然として存在する。
そこを無視したなら、残るのは、無味乾燥な「話の筋」だけです。
そんなもん、何が面白いんだか?
数を稼ぐため?
推測でしかないのですが、ファスト映画などを求める子達は、「知識の数」だけを競ってるんじゃあないでしょうか?
芸術作品の「あらすじ」だけ知って、タイパ最優先で、矢継ぎ早にそれを「仕入れ続ける」ことで、コミュニティでのツール、ないしは差異化の手段にしている。
はっきり言って、鼻で笑えますね、そんなもん。
知識だけを詰め込んだ「お利口さん」なんざ、(ピー)以下だというのが、僕の持論です。
精一杯……
いいように言って、
「お湯を注ぐ前のカップラーメンをかじって、本当の味を知った気になっている」
あるいは、
「料理の写真だけ見て、食ってもいないのに感想を述べる」
ようなもんかと。
そりゃあ僕だって、例えばYouTubeの動画を観ている時、配信者の語るスピードが、あまりにもっさりしていたなら、1.5倍速にする時はあります。
しかし、「物語」を観る際は、絶対に等速です。
第一、作り手は「完成品」を観て味わって欲しいし、その前提で作っているはずです。
であるにもかかわらず、行儀の悪い、軽いつまみ食いだけで、全部を知ったように言われては、いい気分なんかしないでしょう。
なにより、大変な失礼、侮辱に当たることが、分かっていない。
そりゃまあ、分かっていれば、そもそもつまみ食いなんかはしないでしょうが。
Z世代の全てが、じゃあないだろう。
これまた以前、僕が書かせて頂いた、別の記事で触れました。
今どきの高校生の、国語力が低下しているらしい。
なるほど、問題ではありますが、それすなわち、「全ての学生が、もれなく」ではないでしょう。
逆に、例外なく「そう」であったなら、この国の未来はないです。
僕が、「タイパ最優先」を是としている若い子に言いたいのは、
「世の中ってのは、ほとんどが無駄なものでできてるんだYO!」
ということです。
まとめ
ってことで、まとめます。
効率を追い求めることは、絶対悪ではありません。
でも、「無駄を許容し、味わう余裕」を一切合切排除しては、それほどカサカサで、つまらない人生も無いかと思います。
効率化を追い求め続けた果てのZ世代が、やがて「余裕のない、乾ききった」中年になった頃。
人生の意味を見失い、こぞって精神科の門を叩く、あるいは次々と自殺する。
そんな未来も、あるかも知れません。
悪趣味ですか?
んじゃまた。
文章:フジカワ