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歴史発掘も兼ねて、「なにわのうめ伝説」を深堀りしてみました。
なにわの梅伝説とは、
昔『難波の里(今の東難波町・西難波町』に香り高い梅の木があり、『仁徳天皇』はこの梅の木を特に好まれたので村人は毎年梅の花を献上してきました。あるとき天皇は勅令をもって都に移したところ梅の木は都では難波の里の方角の枝だけ花をつけたが、他の枝は花をつけなかったので、再び勅令によって梅の木を元の難波の里に返すと梅の木は再び香り高い花を沢山つけるようになった。
という伝説のことです。
なにわの梅伝説ゆかりの地、東難波町3丁目6-15に鎮座する『難波(なにわ)八幡神社』には尼崎藩3代目藩主で「談林七世谷素外」に師事し、俳名を亀文(きぶん)とした松平忠告(ただつぐ)が詠んだ、
『雪と見て又豊年か村の梅』
の句碑が設置されています。
では、実際の石碑をご覧ください。
https://www.artm.pref.hyogo.jp/bungaku/map/detail/m108-2/
尼崎市東難波町3丁目 難波八幡神社境内 | 兵庫文学碑マップ| ネットミュージアム兵庫文学館 : 兵庫県立美術館
松平忠告の尼崎藩江戸下屋敷の敷地の中に、松尾芭蕉の住んだ『芭蕉庵』があり、松平忠告はそれをしのぶ碑を建て顕彰に努めた大名俳人でした。
難波八幡神社は梅の名所で、松平忠告の句碑以外にも「なにわの梅関連の石碑」が設置されています。
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