おれはアパートに下宿している。学生だ。
この部屋は、寒い。異様なほどに、寒い。
この土地の冬の寒さをなめていた。越してきたときは春だったから、寒くはなかった。
安さの割に部屋が広いから選んだのだが、なにか部屋の構造上冷えるようになっているのかもしれない。
家賃が低いのは、ひょっとしたら心理的瑕疵の問題があるからかもしれなかった。
前の住人が不幸な亡くなり方をしたということだ。
そんなことを思ったのは、あるとき金縛りにあったからだ。
夜中に目が覚めて、からだが全く動かない。
起こそうとしてもからだが起きてくれないのだ。
あるいは、目は覚めていなくて、そんな夢を見ただけなのかもしれない。
コツコツと響く靴音が聞こえる。
アパートの廊下をハイヒールを履いた女性が歩いている。
バタン!と大きな音を立ててドアが閉まる。夜遅くに帰宅するとなりの部屋の女性だ。
私は早くに床につくので、迷惑至極である。私は年寄りなのだ。
ここに越してきたとき、私はまだ学生だった。
いろいろあった。だが、なにもなかったともいえる。
世の中にあるのは、夜中にアパートの廊下をガンガン鳴らして歩く女であり、
不幸にも亡くなってしまう住人である。そのどちらかだけなのだ。
この部屋は寒い。異様なほどに、寒い。
文章:増何臍阿
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