いちど家に帰ったらその日は外に出たくないわたしです。
わたしは、道を訊かれることが多いような気がします。
気がするだけで、実際は多くはないかもしれません。統計は存在しないので、どれぐらいあれば多いかも定かではないです。
道をよく訊かれる人とは、どんな人なんでしょうか。
まず大前提として、ゆっくりと歩いている、あるいはじっとしているということです。
猛スピードで走っている人や、自転車や車を運転している人を止めてまで、ということはあんまりありません。
ただ、山間部などで、他に人があまりいない所では止めることもあるかもしれません。
ここでは一応、ある程度は人がいる都市部を考えます。
上の条件にあてはまる人は、忙しくしていない、ということになりそうです。
悪くいえば、「暇人」ということになります。
よく「忙しい忙しい」と言っている人を見かけることがあります。
あれは、「こんなに忙しい私は社会にすごく必要とされている有能な人間である」
という自慢をしているのと同義であります。
それは置いておくとして、わたしは暇人なのですか・・・
ここで問題となるのは、
「ゆっくりと歩いていたりじっとしている人は忙しくないと言えるのか?」
ということです。
ゆっくりとしているとしても頭のなかで多くのことを考えていれば、それは忙しいと言えます。精神上で移動することが得意な人間に特徴的なことは、物理的な移動をあまりしない
ということです。
しかし、「忙しさ」の一般的な概念は、こういう風には捉えられていません。
なので、暇そうに見える人、というのが一つの条件なのではないでしょうか。
さあ、第二の条件に移りましょう。
道を訊いたらキチンと教えてくれそうな人、というのが条件になりそうです。
何をもってそう考えるのでしょうか。道を訊く相手は、初対面です。その人がキチンと教えてくれそうだと、何をもって考えるんでしょうか。
わたしは何が言いたいのですか。
ここで思考が進みにくいのは、おそらく、客観的に判断可能な事実ではなくて人それぞれの内的な印象というものが影響するからでしょう。
道を訊きたくない人というのを考えてみます。
まず思い浮かぶのが、怖い人(のように見える)です。
入れ墨をしていて鼻にピアスをしている。そして、全体的にブッチャーみたいである。
こういう人に道を訊こうとは思わないでしょう。
ということは、道を訊かれるというのは、アクの強さみたいなものが無い人なんですか。
第三に、外出の機会の多さ、が挙げられます。
生まれてからずっと座敷牢に閉じ込められている人は、道を訊かれることがありません。
これらを総合します。
よく外に出るが、ゆっくり歩いていたりじっとしていて暇そうに見える。そして、道を訊きたくなくさせるアクの強さが無い。
文章:増何臍阿
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