支援機関は発達障碍、知的障碍、ADHDといった障碍者の人生観を否定するための場所なのかもしれない。
障碍者、健常者では根本的に思考回路、やり方などが異なる。障碍者にとっての正解は支援者にとっての不正解、障碍者にとっての不正解は支援者にとって正解となるケースは珍しくない。見た目は同じ人間だとしても、生き方については全く違うものとなっている。
支援者は自分の都合のいい生き方を利用者に押し付けようとする。健常者として生きているのなら正しいかもしれないけど、当事者としては脳を破壊されていると考えることもある。
障碍者として意見しようにも、民主主義の原則である多数決によって意見を退けらえる。当事者は多数派の生き方を強いられることになる。
発達障碍、知的障碍、ADHDなどに虐待を加えながら、自分の生活を成り立たせる。支援機関で働いている職員の大半は、人間として終わっている。当事者としてそのように感じた人は少なくないのではなかろうか。
*障碍者のための場所なのに、どうして健常者の価値観を押し付けられるのでしょうか。障碍者ファーストを掲げるなら、支援者が身を削るべきだと思います。
*障碍者は支援者と一緒になるのではなく、全部切っていった方が自分のためになるかもしれません。支援機関に誰も登録しなくなれば。考え方を改めるようになっていくでしょう。
文章:陰と陽