アメリカみたいに、例えばテレビを使ったりして、対立候補の大々的なネガキャン(ネガティブキャンペーン。つまりは、名指しでディスりまくること)をしない分、日本の選挙は穏便だと思うの(挨拶)。
と、いうわけで、フジカワです。疲れ切って寝ている夜に、足がつって目が覚める時の怒りを、是非とも誰かと分かち合いたい今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。
今回の記事は、「しんどいことは嫌だけど、そうでないとね?」とかいった話です。
誰しも、楽がしたいことは否定しないが。
僕は、ほぼ毎日、スマホのポイ活アプリ(移動や、公衆Wi-Fiへの接続などでポイントが貯まって、商品券なんかに交換できる)を使っているんですが、そのポイントを獲得する際、種々様々な動画CMを観なければならないのが常です。
で、ですね。いわゆる「稼ぐ系」のCMが結構あるんですが、それらを観て、常々思うんですよ。「楽をしたい」という人の心理に、大変巧妙につけいってくる。
例えば、こんな感じ。試しに、二つ例示します。
「一時間で1,000円稼げます!」
「毎週末、25万円稼げます!」
魅力的だと思いますか? でも、世の中「うまい話」なんてもんはありません。
種明かし、その1。
「一時間で1,000円稼げます!」
これ、「暗号(仮想)通貨のビットコインで」なんですよね。
ビットコイン(あるいは、暗号通貨全般)をご存じない方のために、メタクソざっくり説明すると、「値動きが超激しい、金銭的価値のあるデータ」だと思ってください。
つまりは、極端な話、「その瞬間は1,000円かも知れないけれど、五分後にはそれ以下になっている可能性がある」わけです。逆も真なりなのですが、期待するだけ無駄です。
おまけに、ビットコインを受け取るためには、専門の取引所で、口座を開設せねばなりません。
さらに言うと、日本円に換金しても、自分の銀行口座に振り込むためには、たいていの場合、手数料と日数がかかります。手数料が無料の所もあるんですが、いずれにせよ即金ではない。
もういっちょ。そのCMは、「永続的に、一時間あたり1,000円ずつ稼げる」とは言っていない。それをあたかも、「一定の手順さえ踏めば、ずーっと一時間に1,000円ずつ稼げる」と錯覚させているところが、実に姑息です。
種明かし、その2。
お次。
「毎週末、25万円稼げます!」
これは、「競馬で」です。要は、「予想情報を提供するよ! その通りに買って当たれば、500円が25万円になるかもよ!」って話です。
……OK、ちょっと落ち着こうか? 「絶対に当たる競馬の予想」なんてもんがあれば、だーれも苦労せんわけですよ。なるほど、CM内でも「予想的中率は80%です」と断ってはいる。
まあ、下手に「100%」とか謳ったら、法に触れますしね。
が、しかし。これも、あたかも「アプリの指示通りに馬券を買えば、ほぼ確実に、500円が25万円に化ける。しかも毎週末」という風に錯覚させている。まずありえない話です。
思考をしよう。
株とかFXもしかり。それ以外にも、挙げていけばキリがないのですが、とかく世の中、「楽をしたい」人の心理を、あの手この手でくすぐってくる。タチが悪い。
自衛をせねばなりません。一歩立ち止まること。飛びつく前に、少し考えること。面倒くさいですよね。逐一、細かいことに思考のリソースなんざ割きたくないですよね。
ただ、大変残念な話なんですが、思考を止めた時点で、誰もが「葱を背負ったカモ」になります。
なるほど、「信じる」事は美しい。でも、のべつまくなしに信じ切っていては、いいようにむしられるだけです。
しかしながらこれは、全てを疑ってかかれって話でもないんですよ。あまりに猜疑心に満ち満ちていると、周囲から嫌われますしね。さじ加減が難しい。
まとめ
まとめます。そりゃあ僕だって、「あー、宝くじで一発6億円当てたいなー」とか、「ため息を一回つくごとに、1,000円ずつもらえないかなー」とか思うこともあります。
さすがに、ため息の件は冗談にせよ、宝くじで一発、なんてもんは、まずない話です。
確かに、実際に当せん者がいますから、可能性はゼロじゃないですし、そもそも買わなければ当たらない、という点は正しいですけども。
余談として、「宝くじの当たる確率」というのが気になって、少し調べてみたんですよ。
そしたら、(ジャンボ宝くじの場合)「1,000万分の1(0.00001%)」とあり、これと言うのは「落雷の被害に遭う確率」と、ほぼ同じぐらいだそうです。
世の中ってのは、思いの外、悪意に満ちています。知るものは得をし、知らざる物は損をする。そういうもんです。
話は戻るんですけど、ポイ活を地道にやったら、僕の場合は、毎回通院する時に調剤薬局で処方される薬代が安くなったり、時には無料になったりしますからね。
「知っている」からこそ、得をしているわけです。
考えないことが、イコール悪、ではありません。ただし、あまりにボサッとしていると、後で泣きを見るのは自分だ、と、鏡を見ながら、僕は。
んじゃまた。
文章:フジカワ