仏典に「この法門を申すには、必ず魔出来すべし。魔競わずば、正法と知るべからず。
第五の巻に云わく『行解既に勤めぬれば、三障四魔、紛然として競い起こる乃至随うべからず、畏るべからず。
これに随えば、人を将いて悪道に向かわしむ。
これを畏るれば、正法を修することを妨ぐ』等云々」とあります。
「修行が進み、仏法の理解が深まってくると、三障四魔が入り乱れて競い起こってくる。……これに随ってはならない。恐れてもならない。
これに随ったなら三障四魔は人を悪道に向かわせる。
これを恐れたなら仏道修行を妨げられる」という意味です。
「此経難持」なのです。
此の経は持ち難しです。
これは、その人に苦難が競い起こってくるから持ち難いのです。
その苦難と戦って乗り越えることが大切なのです。
それには、魔を魔と見破る智慧とその魔と戦う勇気が必要です。
仏典に「我ならびに我が弟子、諸難ありとも疑う心なくば、自然に仏界にいたるべし。
天の加護なきことを疑わざれ。現世の安穏ならざることをなげかざれ。
我が弟子に朝夕教えしかども、疑いをおこして皆すてけん。
つたなき者のならいは、約束せし事をまことの時はわするるなるべし。」とあります。
つたなき者に絶対になることなく、この苦難(悩み)を、必ずや乗り越えていきたい。
自他共の幸福のために。
文章:シャーペン
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