母の家に居候をするにあたり、自分専用のコップを買った。
100円均一ショップで購入した透明なプラスティック製のコップである。
以下、母との会話である。
母「なぜ、プラスティックのコップを買ったの?」
僕「割れる心配がないから」
母は少し黙った後こう言った。
「割れるから価値があるんじゃないの?」
そう言って自室へ洗濯物をたたみに行った。
僕は母の言葉にモヤっとした。
割れるとコップの価値がなくなるから割れないコップを買ったのにそれが理解されない。
そして、割れるからこそコップに価値があるという母の考えが理解できない。
ガラス製のコップは割れるからこそ、割れないように大事に使おうという観点なら
なんとなくわかる気がする。
しかしプラスティック製の割れないコップは割れないからこそコップの役割を長く果たせるのでコップの価値があるとも思う。
形あるものいつかは壊れる。その点ではガラス製のコップもプラスティック製のコップもいつかは壊れて使えなくなる。その壊れるスパンが短いか長いかだけだ。
母は片付け上手でこまめに家中を掃除する。感心するのは、いる物といらない物の仕分けの判断が早い。しばらく使わなくなったと思うものはすぐに捨てる。少しでも傷んだり、古くなった洋服はバンバン捨てる。
そしてテレビショッピングで新しい洋服や傷んだフライパンをこまめに買い替える。
物に執着しているわけではないが、無精者の僕は割れないコップを後生大事に使っている。
だが、なかなか古くなった物を捨てたり、買い替えることをしないのが僕の欠点と言えば欠点だ。
生産活動が低い分、消費活動を抑えようという理屈だが、どうも屁理屈っぽくて、どちらかというと、いる物といらない物の判断力が鈍くて、いつか使うことがあるかもしれないと、なんでもかんでもため込んでしまう。
そのことで母によく怒られる。母の眼には掃除や片付けがまるで出来ていないように映るようだ。
メリットとデメリットの観点で言えば、日用品は安くて壊れにくいのを長く使えるのがコストパフォーマンスも高くてよい買い物の仕方だと思うが、母はマスプロダクトの安かろう、悪かろうの品物を嫌う。
ガラス製のコップは壊れるから価値があるなんてどうにも腑に落ちない。
母の観点を探ろうとするが、気分屋で見栄っ張りの母の言葉の意味するところが見えない。
むりやり想像してみるに
“割れるコップに価値があるのは
物を大事にしようとする気持ちを育てるから
そして割れてしまったら
新しく気に入ったコップに速やかに買い替えることで
気分も新たに再び大事に使おうという気持ちにしてくれる“
コップも一期一会だろうか。
そう飛躍した考えに行きつくと、何事においても、物事や人に対して、大事に接しようという生活観に行きつく。ただ背景に、今の暮らしの営みや、人間関係が安定せず、もろく崩れやすいものだという、不安定で刹那的な世の中に対する不信感が見え隠れもする。
いや、それは僕が勝手にそう思っているだけかもしれない。母の人生観は謎めいている。
ただ僕の考えにおいては、諸行無常がコップ一つにも宿っているようである。
そういうわけで、コップ一つを取ってみても、母とは大きくずれた価値観を持っている僕は、母の価値観に触れてみて、買い物上手になれたらいいなと思った。
文章:dachan
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