線路沿いに木造アパートがある。
ある日、かなりの築年数と思われるそのアパートの前で、作業着姿の中年男性と風貌のしっかりした老人が何やら話し込んでいた。
そこを数週間ぶりくらいに通りかかったら、アパートの外階段がコンクリート造りのものに変わっていた。以前は鉄製の構造で踊り場が木材でできていたことを思い出した。
外階段の木造部分が腐食するなどして危険な状態になっていたため、補修をしたのだ。
もし何かがあったら責任を問われかねないため、大家が業者に相談していたのだろう。
これで思いだしたことがある。
時をさかのぼること数年。
昔ながらの下町であるA町の中心にA駅があり、駅前には高度経済成長期に作られた商業施設がその長年の役目を終えようとしていた。
その商業施設で、エレベーター事故が発生した。
エレベーターの利用者は軽傷で済んだのは幸いであったが、いろいろな事実が明るみになったのである。
定期点検を怠っていたこと、商業施設のテナントから徴収している修繕積立金がすっからかんになっていたこと、管理組合のトップと第三セクターの都市開発会社が積立金を着服していたことなどであった。
数十年前に建てられた建物、老朽化したインフラが問題になっている。
そこには様々な背景があるものの、多くは経済的な要因だ。
行政は何か問題があってからでないと動かない。むしろ問題の種を大事に育てていることもある。
市民としては、自分の身を守るため慎重な行動を心がけるとともに何らかの積極的な働きかけが必要である。
建物やインフラだけでなく、わたしたちの意識や考えにも補修が必要だ。
文章:parrhesia