そこだけが時代の流れに取り残されたかのような場所だった。
空を見上げると高層ビルが聳え立っている。あそこには何度か行ったことがある。
上層階に映画館があり、ミニシアターというのだろうか、少し珍しい映画を観ることができる。地下にはレトロ風のグルメフロアがある。レトロ風、というのは、人工的に昔の横町を
再現したものだからだ。それと比べるとここはどうだろう。ほんもののレトロである。
だとしたらあちらはにせものなんだろうかと男は訝った。
あてもなくそぞろ歩きをしていると公園があり、そこを通り過ぎると高架下の純喫茶を
見つけた。メロンソーダやアイスコーヒーの食品サンプルが妙に懐かしい。
重い木製の扉を開けるとカランコロンというドアベルの音がした。
店内は静かにクラシック音楽が流れ、照明はおさえめだ。
入り口近くに新聞や漫画雑誌のラックがある。
男はベロア張りのテーブル席に座った。
ふっくらとした中年女性が水とおしぼりをくれた。
ブルーマウンテンをたのむと、おばちゃんは優しい声で
「ブルマンね。」
と言った。
男はなんとも心落ち着く時が過ごすことができた。
コーヒーは美味いし、はよ出ていけという店員のプレッシャーも無い。
店をでたとき、男はすがすがしい気分になっていた。
しばらく歩いていたら、先ほどの中年女性が追いかけてきた。
「お客さん、傘をお忘れですよ。」
メトロに乗る前には本降りだった雨が、地上に出たときにはすっかり止んで
明るい日差しが照っていたので、傘を持っていたことを完全に忘れていた。
男は、ありがとう、と言って帰路についた。
それから数日後。
あのレトロな界隈から見えた高層ビルに行く用事ができた。
男は地下フロアのカフェに入った。
セルフ注文は全くの現代的システムで、無機質な店員の応対、訳のわからない呪文を
唱えさせられる理不尽さ、席の確保の要求。店内のあわただしさ。
様々な古い調度品が置かれてはいるが、すべてが嘘くさく感じられた。
男はしんどくなった。軽いめまいのようなものさえ感じた。
つづく
文章:増何臍阿
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