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子供は特に言うよね
「かわいそう」と人はよく言う。
怪我をした。「かわいそう」。
病気になった。「かわいそう」。
何かをなくした。「かわいそう」。
こんな風によく言うが、「かわいそう」とはなんだろうか。
かわいそうじゃなくて、カワウソ
以前テレビで、生まれつき目の見えない女の子が、点字の本を楽しそうに読んでいる姿を見た。
どこが「かわいそう」なのかわからなかった。本人も暗くても読書が出来て得だと話していた。何も「かわいそう」なところがない。寧ろ、普通の人と同じで幸せそうだ。
両手が欠損し、片足が膝までの長さしかないゴスペルシンガー、レーナ・マリアにしてもそうだ。様々な苦難があったが、それは障害のせいではなかった。
絵も描ける。車の運転も出来る。歌も歌える。
「かわいそう」なところなどあるだろうか。普通の人とあまり変わらない気がする。歌声は特別だが。
筆者にも似たような経験がある。
手にそこそこの怪我を負ってしまった時、周りの人達は挙って「かわいそう」と言った。だが筆者としては、「よかった」と言ってほしかった。
何故なら、もう少しで骨折をしたり、皮膚の張替などをしなければならなかったが、包帯を巻くだけで済んだのだから。
そう、筆者は喜んで欲しかったのだ。仮に「かわいそう」と言ったとしても、「でも、これだけで済んで良かった」と言ってくれたらどれだけ良かったことか。覚えていないだけなのか?
筆者の話は別として、勝手な考えだが、生まれつきそのような状態の人に対して「かわいそう」と言うのは、相手の存在そのものを否定しているようにも思える。
確かにその人達もないことに嘆いたことやあることを羨ましく思ったこともあっただろうが、何でもかんでも「かわいそう」と言うのは、お門違いではないか?
そうだ、NSCに入ろう
「かわいそう」、「かわいそう」と『ジョジョの奇妙な冒険』のラッシュ時のように連呼するが、本当にそう思っているのだろうかと疑問にすら思える。
それに、何を分かった気でいるのか。自分の価値観や目線で人の気持を決めるなど、言語道断だ。
とても傲慢な行為にも思えるが、それもやはり筆者だけの考えなのだろうか。
少なくとも筆者は怪我をしてケロイドができたが、面白い体験をしたと思っているので、憐れまれる筋合いはない。
他人の心を本当に理解しているのは、本人か神様くらいだ。
憐れむ前に聞いてみるといいかもしれない。「なんて言ってほしい?」と。
それにほいほいほと答えてくれる精神状態かどうかはわからないが、「かわいそう」とすぐに口に出すのは止めてみてもいいだろう。
案外、笑わせてほしいと言ってくる人もいるかもしれない。なので、今から持ちネタを作っておこう。
ついでに言うと、海老を食べてぷりぷりと言うのと、老舗の食べ物を食べて美味しいの一言で済ませるのも止めてしまおう。海老も店員も聞き飽きていることだろう。
なので、食レポの能力を付けるのだ。「○○の宝石箱や〜」は駄目だ。今や本人だけでなく、日本中の人間が使っているから。
オリジナルフレーズを考えて、海老や店員さんにも喜んでもらおう。
文章:ぴえろ