「賽は投げられた」は、ジュリアス・シーザー(ユリウス・カエサル)の有名な言葉です。
これがもし、「差異は投げられた」だったなら、細かいことを気にしない雰囲気に。
さらに「犀(サイ)は投げられた」とすれば、投げたの誰だよ? アラレちゃんかよ!? となるよなあ?
そんな言葉遊びを、日々やっています(挨拶)。
と、いうわけで、フジカワです。
最近驚いたことと言えば、前職時代に少し付き合いのあった某社が、超有名グローバルゲーム会社の完全子会社になったことであるという今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。
今回の記事は、「いかれた天候だ!」とかいった話です。
夏、本番
さて。梅雨も明け、一気に暑くなって参りました。
いきなり、昭和のオッサンによる昔話などを。
僕が子どもの頃ですから、だいたい40年ぐらい前でしょうかね?
当時はまだ、「猛暑日」という定義自体がありませんでした。
なぜなら、気温が35度を超えることなんか、なかったからです。
その頃は、30度でも「うひゃあ、暑い!」と、ピースカ言っていたものです。
それが今や、40度に迫る地点もある程に。
体温以上の暑さなんか、ナチュラルに考えて、危ないですよね。
いや、僕もことさらに、「地球温暖化ガー!」とか、言うつもりはないです。
環境を考えた行動の全てが、無駄とは言いません。
ただ、声高に叫んだところで、「今すぐ」効果を上げるものでもないでしょう。
個人的には、「エコロジー」にまつわるアレコレには猜疑的なのですが、今は脇に置きます。
素朴な疑問
いえね? この季節になると、熱中症にかかる方が増えますよね。
それはそれで、仕方のないことだと思います。
患者の方々も、好き好んでなったわけでもないですし。
ただ、どうしても気になることがある。
熱中症で、高齢者がお亡くなりになるケースが、何度か報道されます。
「部屋にエアコンがなかった」
「エアコンはあったが、動いていなかった」
そんなパターンを、しばしば聞きます。
これだけ暑いのに、なぜ?
気になりますが、憶測と偏見を並べ立てるのはよろしくない。
軽く調べました。
と、下記のような記述が、国営放送のウェブサイトに。
https://www3.nhk.or.jp/news/special/saigai/select-news/20200821_01.html
「高齢になると、基礎代謝が落ち、暑さを感じにくくなる」
「冷たい風は、身体に悪いと思っている」
「電気代がかかるから、使いたくない」
一つ目は、ある意味仕方ないですよね。
寒がりになっているなら、さらに空気を冷やそうとは思わないはずですし。
ただ、理解ができないのは、残りの二つ。
確かに「冷たすぎる」風なら、身体にも悪いでしょう。
しかし、今のエアコンは、細かく温度調整ができる。
何より、命の危険を感じる暑さの中で、そんな悠長なことを言っていていいのか?
電気代にしてもしかりです。
経済的に、ヘタに跳ね上がると、払えない家庭も少なからずあるでしょう。
そして、お金は空から降ってこない。
ではあれど、命と天秤に掛けたなら、どっちが重いかは分かるはず。
一昔前に比べて、エアコンの稼働にかかる電気代も減ったそうです。
それでも無理、という世帯もある。
じゃあ、貧乏人は熱中症で死ね、なんて、あんまりすぎるでしょう。
難しい問題
そもそも僕は、ハナから政治に期待をしていません。
「お上のやることは、ことごとく的外れである」
この前提を持っていますからね。
しかし、国民の命を守るのが、国の使命であるはず。
ならば、もはやエアコンなしでは暮らせなくなった現代です。
先述の、国営放送のウェブ記事にもありました。
国が、電気代の「継続的な」補助をやるべき。
補助金制度については、昨今の物価上昇等を踏まえ、既に実施されている。
ただ、適用期間が「2023年1月~9月」と、限定的です。
来年はどうなる? 再来年は? 3年後は? 10年後は?
命に関わる暑さは、もうずっと続くでしょう。
価値観をアップデートしないというのは、まさしく命に関わる。
無知は最高の美徳であり、最大の罪です。
意地を張るのも、時にはカッコイイかもしれない。
ただし、こじらせると、死が待っている。
「こだわりと思い込み(意固地と偏屈)は、時として身を滅ぼす」
詳細は割愛しますが、僕個人の経験として、強く思います。
生きづらいですよね、物理的に。
困りはすれども、インスタントな解決策がない。
とりあえず僕は、ためらわずにエアコンを使います。
んじゃまた。
文章:フジカワ