出典:© いらすとや. All Rights Reserved.
生物としては大切な本能
「恐怖」は生物の行動を抑制する感情。
光が一切ない暗闇を前にすると、足がすくみ、その暗闇の中に入ろうとは思わない。
それはその人の中で「これより先に進むな」という警報が鳴っているからだ。恐怖とは自分の身を守る為にある大切な本能なのだ。
そして人はその本能を、他人の行動を支配する為に利用してきた。おとぎ話などが分かりやすい。
『赤ずきん』は約束を守る。『舌切り雀』は欲張るな。『かちかち山』は意地悪をすれば、それが返ってくるというのが、おとぎ話の教訓だと思うが、当時子供に聞かせていた話はもっと残酷なものだった。
『赤ずきん』は殺したお婆さんの肉を干し肉に、血をワインだと言って赤ずきんに食べさせる。
これがまだペローとグリムも手を付けていない状態の『赤ずきん』。一説ではもっと生々しいシーンがあるそうだが、あくまで一説なのでそこは省こう。
あとの二つもそれぞれ残酷さが有り余る原作だ。残酷過ぎて、存在そのものが公から消された作品もある。
子供の行動を支配するには、狼に食べられるぞ程度で充分だが、今もトラウマ絵本と呼ばれる絵本が何冊もある。
筆者のトラウマ絵本は、せなけいこの『ねないこだれだ』だ。
眠らないといけないのに、あのおばけの不気味な笑顔と、連れて行かれる子供の姿が目に焼き付いてしまい、なかなか眠れなかった。
これ、子供に読ませんの⁈となるような絵本を探してみるのも面白いと思う。
そういった絵本に対して一部の大人はこう言うのかもしれない。余計なトラウマを与えるなと。勿論その通りだ。
だが、何回言っても分かってくれない場合は、脅すしか方法が見つからないのだろう。
何よりもそれが一番楽だし。なまはげや黒いサンタクロースもそういう理由から生まれたのかもしれない。
サンソンの本を読んでるからフランス寄り
それでは、大人の場合はどうなるのだろう。
昔の人にとっては公開処刑は娯楽のひとつだった。基本は斬首刑か絞首刑の二つだったが、時には八つ裂きの刑や車裂きの刑などを行うことがあった。
特に八つ裂きの刑は、見物人も見ていられず、執行人は仕事を辞めてしまう程残虐だった。
何故こんなことをするのか。勿論見せしめの為だったが、やはりこれは恐怖による支配の為でもあったと筆者は考える。
最後に八つ裂きの刑に処せられたのは、国王暗殺未遂という重罪人だった。
なのでこれは、お前達もこんな目に遭いたくなければ逆らうな、ということなのだろう。
フランスの話を例にあげたが、不思議とこんな刑は中国にもあるらしい。絶対王政など、誰か一人が国を治めていると、やはり恐怖での支配が一番なのだろう。
そうすれば誰も逆らわないから。それに王達もそうでもしないと怖かったのかもしれない。
現在は北朝鮮がそういうことをしているように感じるが、普通の国では警察に捕まることや、その後に受ける刑罰が恐怖の対象なので、基本法律には逆らわない。
やっぱりフランス寄り
では、そんな恐怖を完全に克服してしまうと、どうなるのだろうか。勇敢になれると思うか。
筆者は違うと思う。多分、血が流れるような気がする。
何に対しても恐怖心を抱くのは精神病とされるが、その逆も異常があるとされる。
だが人は、そんな精神を病んでいなくても、あることをすれば恐怖を忘れてしまうことができるのだ。
その方法は、群れることだ。人もサバクトビバッタも同じだ。フランスの「九月虐殺事件」も多くの人が集まったから起きたのだろう、知らんけど。
デモやテロも一人だとしようとは思わない。同じ考えを持つ人間が集まったから起きるのだ。一人でも実行にでる人間はもうどこかおかしいと思う。
群れると誰かのせいに出来る。矛先が自分にくる確率が低くなる。鰯が群れるのと同じような理由だ。
あの有名な「赤信号 みんなで渡れば 怖くない」もそういう意味なんだろう。
人が同じ場所に大勢集まると良いことが何もない。小規模がいいよ。道を踏み外しそうな人を止めやすいし。
大体、一人で大人数の統率をしようとするのは、不可能だ。
文章:ぴえろ