出典:© いらすとや. All Rights Reserved.
気になるっちゃ気になる
最近上の階に子連れの家族が越してきた。まだ小さな子が数人いるそうだ。
上の階でそんな小さな子がやってきたとなると、時々ドタバタと足音が聞こえてくることもある。勿論そんなことは気にしていない。
だが12時頃になってもパタパタと、軽い足音が聞こえた時は、子どもってこんな時間まで起きてるものなのか。それとも眠れずにぐずっているのだろうか。
なんて気になったがまあ、眠ってしまえば夢の音しか聞こえなくなるから寝た。
何よりも自分の子供時代を思い出して、そこは我慢することにしている。自分も現在進行形で色んな人に迷惑をかけているのだからと。
大人がわがまま言うんじゃありません
子供時代がない大人は存在しない。誰にだってある時間。その逆なら存在するが、どうやってもその時間を抜くことは出来ない。
なので、ある程度のことは目潰ししてでも黙っていなければならない。
だが、世の中にはそういうことが出来ない、ある意味残念な大人たちも存在している。
「子供が五月蠅い!何とかしろ!」
と、言う大人。まあ気持ちは分からなくはない。誰でも皆が皆、
「元気いっぱいで良いことじゃない」
と受け入れることは出来ないからな。筆者も大の子供嫌いだから。だが一つ納得出来ないのは、あんた…、公園の傍に住んでるじゃねえかああああああああ!
それで五月蠅いというのは無理がある。たまに学校パターンもある。
立ち入り禁止の場所で遊んだわけでもなければ、家の窓が割られたわけでもないだろ。子供に公園で遊ぶななんて、目の前にある宝箱を開けるなと言われているのも同然だ。
そんなことをいう大人のせいで、公園がどんどんなくなっていって、引きこもりの子供ができるんじゃないか。
そんな子供が成長して、身体的に弱い大人になると、自分の老後を助けてくれる人がいなくなるぞ。
だがぶっちゃけてしまうとゲーム、ネット漬けの現代っ子には筆者もあまり期待していない。
極端?いえいえそんなことはありません
子供の声が気になる。なら、子供のいない場所へ行けば?巣鴨とか歌舞伎町とか子供少なそう。
それか過疎地に引っ越しだな。子供どころか大人も全然いない。店も全然ない。聞こえてくるのは、自然の奏でる調べくらいだ。ASMRで溢れている良い場所だ。心が浄化されそうだ。
だが、先に述べたように店も何もないので、今までの倍不便になるだろうな。それが嫌なら耳栓するなり、防音壁に変えるなり対策を考えることだ。
何よりも五月蠅い=騒音ではない。耳元で延々とピカソのフルネームを囁かれたり、タイの首都バンコクの正式名称を囁かれたりするのも五月蠅いっちゃあ五月蠅い。
っていうか、精神にダメージがきそうだ。これが恨み言だとなおさらだ。
子供の騒ぐ声と耳元で延々と囁かれ続けるの、どっちの方がマシか考えてみるといい。
この世が自分中心に回っていると思ったら大間違いだ。
文章:ぴえろ