歴史

世界の歴史上人物 第9回目 ジョージ5世

 

皆様こんにちは!

Lewis Abe(ルイス アベ)です。

 

いつも読んでくださり、有難う御座います!!

 

第9回目の今回はウィンザー朝の初代君主、そしてインド皇帝でもあったジョージ5世をご紹介したいと思います。

 

ジョージ・フレデリック・アーネスト・アルバート(George Frederick Ernest Alber)

 

[1865年6月3日-1936年1月20日(70歳没)]

 

当時プリンス・オブ・ウェールズであったアルバート・エドワード(のちのエドワード7世)とアレクサンドラ王太子妃の第二王男子として誕生する。

 

1865年7月7日にウィンザー城(※1)のプライベートチャペルで洗礼を施される。

代父母はハノーファ(※2)国王ゲオルク5世(※3)、デンマーク王妃ルイーゼ(※4)並びにフレゼリク王太子、ライニンゲン公エルンスト・レオポルド、ザクセン=コーブルク=ゴータ公エルンスト2世、ケンブリッジ公ジョージ(※5)、オーガスタ・オブ・ヘッセ=カッセル、ヘッセン大公妃アリス(※6)

 

出生時は父王太子と兄アルバート・ヴィクター(※7)に次いで王位継承権第3位の地位にあった。しかし父と兄への王位継承が期待されておりジョージの即位を予想する者はいなかったという。

 

※1…イギリスの首都ロンドンの西34kmに位置し、テムズ川南岸に築かれたイギリス君主の公邸の1つである。イギリス王室の所有

※2…現在のドイツ北部にあったニーダーザクセン州に存在した国家

※3…最後のハノーファ国王。イギリス王ジョージ3世の孫である

※4…デンマーク国王クリスチャン9世の王妃。デンマーク語名はルイーセ・ア・ヘッセン=カッセルである

※5…ケンブリッジ公アドルファス(ジョージ3世の七男)と妃オーガスタの長男

※6…イギリスのヴィクトリア女王とアルバート公の次女。ヘッセン大公ルートヴィヒ4世の妃

 

結婚~王太子時代

 

海軍軍人として、叔父のエディンバラ公爵アルフレッドの指揮の下にいたジョージは、マルタ駐在していた際に、現地で叔父の長女であるマリー・オブ・エディンバラ(※7)と恋に落ちる。結婚を申し込み、彼女もそれを承諾した。しかし祖母ヴィクトリア女王(※8)と双方の父は歓迎したものの、ドイツ嫌いのジョージの母アレクサンドラとイギリス嫌いのマリーの母マリア・アレクサンドロヴナ(※9)がこれに反対、最終的には婚約は破棄となってしまった。

 

1891年、兄のアルバートはフランツ・フォン・テック(※10)の長女であるヴィクトリア・メアリー(※11)と婚約。しかし婚約の6週間後に兄は肺炎により薨去した。これによりジョージは父に次いで王位を継承しなければならなくなった為、海軍も退役する事となった。同年5月24日、ヨーク公爵、インヴァネス公爵、キラニー男爵の爵位を賜った。

 

メアリーを将来の王妃に相応しい人物として考えていたヴィクトリア女王は、ジョージにメアリーと結婚するように説得。説得を受け入れたジョージはメアリーに結婚を申し込み、彼女もそれを受け入れた。1893年7月6日にセント・ジェームズ宮殿のチャペル・ロイヤルで結婚式が執り行われた。第1子エドワード8世(※12)、第2子ジョージ6世(※13)、第3子メアリー(※14)、第4子ヘンリー(※15)、第5子ジョージ、第6子ジョンの6人の子供にも恵まれた。

 

1901年1月22日にヴィクトリア女王が崩御。それに伴い、父王太子エドワード7世(※18)として王位を継承する。ジョージは法廷推定相続人として王位継承順位1位となり、それによりコーンウォール公爵とロスシー公爵、そして同年11月9日にはプリンス・オブ・ウェールズとチェスター伯爵の爵位を賜った。

 

※7…ルーマニア王フェルディナンド1世の王妃

※8…ハノーヴァー朝第3代国王ジョージ3世の孫。エドワード7世、ドイツ皇后ヴィクトリア、ヘッセン大公妃の母

※9…ザクセン=コーブルク=ゴータ公アルフレートの妃。ロシア大公女

※10…初代テック公。英国女王エリザベス2世の曾祖父である

※11…ウィンザー朝の国王ジョージ5世の王妃

※12…インド皇帝、ウィンザー朝の第2代国王

※13…最後のインド皇帝で最初のイギリス連邦元首

※14…イギリスの第6代ハーウッド伯ヘンリー・ラッセルズの妻

※15…第11代オーストラリア総督

 

国王時代~崩御

 

1910年5月6日にエドワード7世が崩御。それにより「ジョージ5世」として王位を継承し、1911年6月22日にウェストミンスター寺院で戴冠式を執り行った。日本からは東伏見宮依仁親王(※16)らが参列。

 

同年12月にイギリス領インド帝国を訪問し、デリーで行われた戴冠式典の時にインド皇帝として即位した事宣言する。戴冠式典以降、皇帝皇后はインド各地を巡幸。しかしその際もジョージ5世は趣味である狩猟に熱中。記録に残っているだけでもトラ21匹、キジ1000羽以上を狩った。1911年5月にドイツ帝国(※17)より元帥(※18)に叙せられた。

 

1914年の第一次世界大戦の開戦に伴い、イギリスとドイツは戦火を交える事になる。

ちなみにドイツ皇帝のヴィルヘルム2世(※19)は従兄にあたり、従兄弟同士が第一次世界大戦で敵同士として戦った事になる。

 

ジョージ5世の祖父であるアルバート(※20)は、ドイツのザクセン=コーブルク=ゴータ家(※21)出身でそれによりジョージ5世・同妃と王子と王女にはザクセン=コーブルク=ゴータ家(サクス=コバーグ=ゴーダ家)の王子・王女並びにザクセン公夫妻の称号を有していた。

 

第一次世界大戦のストレスにより、ヘビースモーカーだったジョージ5世の喫煙量は更に増えていき、肺気腫や気管支炎、慢性閉塞性肺疾患、胸膜炎などを患った。1936年1月20日にジョージ5世は崩御した。それを受けてエドワード8世が王位を継承した。

 

※16…日本の皇族・海軍軍人で、伏見宮邦家親王第17王子

※17…ドイツ国において存在したプロイセン国王をドイツ皇帝に戴く体制を指す歴史的名称

※18…ドイツ軍人にとって、尉官・佐官・将官を超える軍人に与えられる最高位の階級

※19…第9代プロイセン国王、第3代ドイツ皇帝

※20…イギリス女王ヴィクトリアの夫

※21…ヴェッティン家の分家でドイツ中部にあった

 

ジョージ5世が得た称号

 

〇1865年6月3日~1892年5月24日

ジョージ・オブ・ウェールズ殿下(His Royal Highness Prince George of Wales)

 

〇1892年5月24日~1901年1月22日

ヨーク公爵殿下(His Royal Highness The Duke of York)

 

〇1901年1月22日~1901年11月9日

コーンウォールおよびヨーク公爵殿下(His Royal Highness The Duke of Cornwall and york)

 

〇1901年11月9日~1910年5月6日

プリンス・オブ・ウェールズ殿下(His Royal Highness Prince of Wales)

 

〇1910年5月6日~1936年1月20日

国王陛下(His Majesty The King)

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%B85%E4%B8%96_(%E3%82%A4%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B9%E7%8E%8B)

©ジョージ5世 (イギリス王) – Wikipedia

 

今回はかなり長くなってしまいましたが是非読んで頂けたら嬉しいです。

 

 

文章:Lewis Abe(ルイス アベ)

 

画像提供元 https://foter.com/f7/photo/50771242672/e04fc62aea/

 

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