皆様こんにちは!
椎名 夏梨(しいな かりん)です。
第3回目の今回はグレース・ケリーさんをご紹介したいと思います。
グレース・パトリシア・ケリー(Grace Patricia Kelly)
[1929年11月12日-1982年9月24日(52歳没)]
ペンシルべニア州フィラデルフィアのアイルランド系カトリックの家に生まれる。
父親のジョン・ブレンダン・ケリーは上流階級の競技であるボート競技で頭角を現し、1920年のアントワープオリンピックで2個の金メダルを獲得して国民的英雄になる。
モナコ大公との出会い、結婚
1956年1月5日にカンヌ国際映画祭で知り合ったモナコ大公レーニエ3世との婚約を発表。同年4月18日にモナコ大公宮殿で結婚式が行われた。
モナコ公妃として
レーニエ3世との間には、カロリーヌ・ルイーズ・マルグリット(ハノーファー王子エルンスト・アウグスト5世妃)、アルベール・アレクサンドル・ルイ・ピエール(現在のモナコ大公アルベール2世)、ステファニー・マリー・エリザベートの一男二女がいる。
モナコ公妃の最期
1982年9月13日、自らハンドルを握り南仏のロックアジェルの別荘からモナコに戻る途中に脳梗塞を発症。そのまま急カーブの坂道でガードレールに激突し、道路横の崖を40メートル程転落して自動車は大破。事故後すぐに病院へ運ばれたが意識が回復しないまま翌日に亡くなる。
9月18日、モナコ大聖堂にて葬儀が行われ、各国の王族・要人が参列した。
グレース・ケリー – Wikipedia
文章:椎名 夏梨(しいな かりん)
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