自分の悪いところは、なかなか自分では気づけないことが多い。
人と接して初めて自分の悪いところを学ぶことが出来るのは、非常に有り難いことです。
はじめは、指摘されて、苦しむことになり、反対に相手のことを恨んだり憎んだりしてしまう事もありますが、的を射ているので、深く自己反省して自分を見つめると、自己の過ちに気づくことが出来ます。
有難いことです。
仏典に、
「されば、仏になるみちは善知識にはすぎず。わがちえなににかせん。ただあつき・つめたきばかりの智慧だにも候ならば、善知識たいせちなり。」
とあります。
「ゆえに仏になる道は善知識にまさるものはない。我が智が何の役に立とうか。ただ暑さと寒さを知るだけの智だけでもあるならば、善知識に求め近づくことが大切である」という意味です。
善知識とは、良き友という意味です。
これは、仏になる道という事ですが、自己成長とも相通じると思います。
人は、他人の悪いところなどはよく気づけますが、自分の悪いところはなかなか気づくことが難しいものでしょう。
そして人は、社会で生きています。一人だけで生きているのではありません。
教えてもらっていることに、社会で生きていることに感謝しかありません。
また、良書も良き友になります。
過ちを犯した過去は変えることは出来ませんが、今これからのことは、自分で作っていくことが出来ます。
過去にとらわれることなく、現在から未来に向かって、良き方へと自分を変えていきたい。
なので、そのような社会を自己成長の場所と捉えていきたいものですね。
文章:シャーペン
画像提供元 https://foter.com/d/d.php?f=https%3A%2F%2Flive.staticflickr.com%2F7072%2F7081042823_42a4e5f91b_c.jpg&s=574cc607df55f35348d9779aad5b34f7