『高校中退は真の一流になるために必要なのか?』
藤井聡太二冠は「高校を退学した」とニュースになりました。卒業まであと一カ月に迫っていただけに、唐突な印象を受けました。
将棋の棋士で生きていくのであれば、高校卒業の肩書きは必要ありません。本人が必要ないと判断すれば、きっぱりとやめてもよいかなと思います。
羽生善治九段も高校を中退
羽生九段も対局で高校に通えなくなり、高校を退学しています。(あとで通信制の高校を卒業)棋士を本業とする人物にとって、高校を卒業したという過程は不要なのかもしれません。
羽生九段はタイトル99期という前人未到の記録を残しています。高校を中退した藤井二冠はその記録を更新することはできるのでしょうか。
高校は義務教育ではない
近年の高校は義務教育のように扱われているものの、才能がある人にとっては不要なのかもしれません。他に没頭できるものを見つけたなら、通う必要性は皆無です。
藤井二冠の行動を見て、高校を卒業した自分は何のとりえもなかったのだと感じました。同じ境遇であったなら、高校を捨てていたように思います。
今回の出来事は、自分の価値観の一部を変えたような気がします。
米永棋聖の「兄貴たちはバカだから東大に行った。私は天才だから棋士になった」
東大に行くことですら大変なことなのに、棋士になった米永永世棋聖は「バカ」の二文字で片づけています。将棋棋士になる、続けていくのは、大変なのを感じさせます。
天才ばかりが集まる場所で、トップを維持するのは並大抵のことではありません。高校に通っていては、後れを取ってしまうと判断したのかもしれません。藤井二冠が高校に通っている間に、他の棋士が勉強すれば差をつけられることになります。彼はそのことが許せなかったのかもしれません。
まとめ
「凡人は高校に通う、天才は高校を捨てる」を、行動で示してくれたのかもしれません。本来なら必要だと思っていたものは、実は生きる上では全く必要なかったということはよくあります。
高校を卒業したため、将棋以外の道で生きていくのは難しくなりました。退路を断つことによって、自らを奮起させようとしているのかもしれません。
私にはわかりえない世界なので、これ以上のことは書けません。天才になることがあったら、同じようなことをいってみたいと思います。
文章:陰と陽
画像提供元 https://foter.com/photo4/syracuse-new-york-former-central-high-school-historic/