日本では頑張った、努力したと口にする人で溢れかえっています。私も耳にタコができそうなくらい聞きました。
2つの言葉は一見すると自然に聞こえるけど、大きな落とし穴があることにお気づきでしょうか。上記の言葉はすべて、やりたくもないことをやった人間の評価になってしまっています。主体性はどこにもありません。
ゲームが大好きだったと仮定しましょう。一日一〇時間プレイしたときに、頑張った、努力した、一生懸命にやったという感情は芽生えないと思います。人間は好きになれば、自然と熱中できる生き物です。
勉強についても同じことがいえます。勉強が好きな人は頑張っているのではなく、熱中しているだけです。本人はやらされているとは、思っていません(やらされているなら頑張った、努力したと考えにあてはまります)。
人間がものごとを頑張った、努力したときではなく、楽しんで取り組んだときに吸収力は高くなります。どうしてかというと、自分の意思でやっているからです。人間は自分でやりたいと思ったものについては、無意識のうちに頭に叩き込ませようとする習慣があります。
頑張る、努力するという考え方を捨てられたとき、最大限の成長を見込めるのではないでしょうか。あなたが自然体で取り組めるものを一つでもいいから探してみましょう。
*人間は自分がやりたいと思わなければ、前向きになれない生き物です。後ろ向きな方法では、生まれるものはほとんどありません。
文章:陰と陽
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