「弘法の工房での攻防」というダジャレを思いついたんですが、「なぜ、空海上人が、どこの工房で、誰と、何のために戦っているのか?」が、まるで不明なので(挨拶)。
と、いうわけで、フジカワです。
「定刻の五分遅れが基本」という、地方の市バスの法則が、理解はできるけど納得がいかない今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。
今回の記事は、「調子に乗って、また小説の話をするよ!」とかいった話です。
割と読まれてる?
さて。今回は、こちらの記事と関連します。
ふとアクセスランキングを見てみると、結構読まれている様子。
ぢゃあ、調子に乗ってやれ! という、浅はかな、あさはかなはまやらわ。
前提:それしか能がない!
そうなんですよね。
僕って奴ぁ、「ものを書く」以外のスキルが、壊滅的にないんですよ。
そりゃあ確かに、今から二十七年前は、実は、ド文系にも関わらず、プログラマーをやってたりもしました。
この背景には、当時の世相があったりしたんですが、長くなるので割愛します。
なお、プログラマー生活は、一年も持ちませんでしたし、付け焼き刃で取得したプログラミング言語も、退職と同時に、すっかり忘れました。
僕が「書き始めた」のは、大学三回生ぐらいですから、二十一歳の時だったでしょうか?
これが自慢に取られたなら、それは僕の不徳が致すところではあるんですが……
大学が文学部だったもんで、詩集を作って「卒論です」と言い張って、それで八単位かすめ取ったこともあったりね。詐欺かよ。
書いて、書いて、縁あってライターデビューして、また書いて、ライターを辞めても、さらに書いて。
そして、気付けば四十九歳。「書く」以外のスキルは、笑えるぐらいに何もない!
有り難い話
今、職場でこうやって、仕事としてブログの記事を書かせて頂けているのは、大変な幸運です。
また、それ以外にも、クラウドソーシングサイトの案件として、お題に沿って、ショートショートを書いたりもしてます。
数少ない「スキルが活きる」場であり、これで通勤の手間が発生しなけりゃ、マーベラスですよ。
いずれにせよ、こういう仕事を与えてくださる会社(施設)のスタッフさん方には、感謝しかなく。
……ま、実のところを申し上げれば、前の施設では「仕事として」小説を書いてたんですが、やりがいのないこと甚だしかった上に、(以下検閲削除)
……「人をディスれば穴二つ」と申しますゆえ、あまり前の施設に関しては言及しません。
今でも割と、積極的にやってます。
懸賞への応募は
ただ、万年一次突破止まりを打破したい。
当然、自分で推敲(ブラッシュアップ)はしますけど、どうしても限度がある。
特に、今書いている作品は、結構な力作。
具体的には、177,831文字。
四百字詰め原稿用紙換算で、だいたい445枚、文庫本見開きの体裁なら、200ページです。
個人的にはフルパワーであり、これ以上はないですし、仕上げるのにかかった期間も、足かけ二年という。
しかし、友人知人に読んでもらっても、基本ヨイショしてもらうだけなので、嬉しくはあれど、イマイチ客観性に欠けます。
可能なら、「応募前に」、「冷静なプロの意見」が欲しい。
そこで、ハタと思いました。
ソリューション!
前段で触れた、各種クラウドソーシングサイト。
「スキルを売ってる」出品者もいる。
探しました。
ありました。「プロ編集者による、小説の添削サービス」が。
お安くはなかったのですが、ものは試しで依頼してみたんですよ。
目が覚める
じゃあ、お前は今まで寝てたのか? と問われたなら、「うん」としか言えない。
そういう講評が返ってきました。
その後、「金で殴る」スタイルで、改稿する→再講評をもらう、を繰り返し、徹底的にブラッシュアップしました。
結果、やっと「一人は」納得させられたんですが、それがイコール、応募せんとする懸賞での入賞を意味、ないしは約束するものではない。
とは言え、たとえ一人であれ、プロを納得させられた。これは大きい。
僕としても、今回は捲土重来(けんどちょうらい。敗北からの巻き返しの意味)を期しているので、できれば善戦して欲しい。
とは言え、レーベルのカラーに合ってなきゃ、それまでなんですけどね?
まとめ
ってことで、まとめます。
今回、僕が出す予定の懸賞、大賞の賞金が、なんと300万円なんですよね。
その下に「金賞」「銀賞」「奨励賞」とあり、銀賞以上は出版されるとのこと。
そりゃあ僕だって、入賞して、書籍化されたい。
ただ、以前も申し上げた通り、「狙えば滑る」もんです。
それに、締め切りこそ今年の八月下旬ですが、結果が出るのは来年の三月と、気の長い話です。
途中経過はチェックするにせよ、結果がどうかとか、気を揉むだけナンセンスって奴でしょう。
もし、ここをご覧の皆様の中で、ものを書くことがお好きな方がいらっしゃるなら。
「クオリティアップのために、有償であれど、外部の力を借りる」というのも、立派な選択肢だとは思います。
文章というのは、「読まれてこそ」。
そのためには、手段を選ばないぐらいで、ちょうどいいのかも知れません。
んじゃまた。
文章:フジカワ