特筆した才能を持つ障碍者は八方美人になるよりも、一つに打ち込んでみてはいかがだろうか。
健常者はものごとをコンスタントにこなせる。聞こえはいいけど、要は特筆した長所がないということ。便利屋として生きる道を模索するしかなく、自分の意見を押し通そうとした時点で粗大ゴミと化す。組織のいわれたとおりに仕事をこなすことでのみ、評価を得られる。
便利屋をよりわかりやすくするために、プロ野球の世界に置き換える。複数のポジションを守れる、ユーザビリティープレイヤーは使い勝手こそいいものの、主役になることは難しい。守備だけでお金をもらえる立場にいない限り、用済みとなった時点で簡単に戦力外通告されるケースもあとを絶たない。他の人間のためにどれだけ貢献したとしても、なかなか評価を得られない立場を強いられる。
健常者はどんなに力を入れても主役になれないのに対し、才能豊かな障碍者は主人公になれる力を所持している。会社の社長として成功すれば、偽りの心で頭をペコペコと下げ続けるような人生を送らなくてもいい。社内にて本音で生きていくことを許される数少ない立場になりえる。
健常者みたいにおこぼれにあやかり続けるような人生を送る必要もなく、狡賢い知恵を身につける回数も減らせる(増えるケースの方が多いのかな)。プラスの要素を循環させることによって、まっとうな人間を構築できる機会を得らえる。
障碍者は一社員として働くと、他者からの評価がはっきりと現れる。個性を良いと感じる人もいれば、生意気、わがまま、ルールを守れない、自己中心的といったマイナスの印象をもたれやすい。(個人的な体験談からいわせてもらうと前者1~2、後者8~9くらいの割合。他者についてはどのようになっているのかはわからない)
傍若無人な振る舞いからか、健常者と比較すると感情を持たれやすい性質を持つ。(健常者はそこのところすら認めようとしない者もいる)超人的な才能を持つ障碍者は会社で浮きやすいため、部下として働くのはあまり向いていない。幼少期からきっちりと感じ取っていた当事者は、起業することで自らの立場を確保している。
障碍者は自分に正直な人が多く、本音で会話をしがち。体裁を保つ一般社会では浮きがちとなり、次第に居場所を失っていく。健常者の世界で生きようとすることで、莫大なストレスにさいなまれ、早期退職を繰り返す障碍者が多いのはそのためだ。一般に馴染めず、1~2年で転職を繰り返すのをよく耳にする。
障碍者は主役になる権利を有している。名を残せるような人間になるためにも、一つのことに打ち込んでみるのも面白い。社会で真の成功を収めるためには、八方美人はいないように思う。
一度きりの人生、誰に反対されても好きなように生きてみるのも面白い。失敗したとしてもやりたいことをやったので、ああしておけばよかったと後悔する確率を下げられる。
*私の意見ですけど、未練を残さないことが重要だと思います。ああしておけばよかった、こうしておけばよかったはあまりにも悲しすぎませんか。
文章:陰と陽