当事者故に気になってしまうことはあります。
そうではないというのに自身をそう名乗るお方がとても苦手です。
それは少しお世話になっている知り合いのお方が零したお言葉でした。
今一緒に遊んでいる子が同性なんだけど、今までにないくらいに好きだと思うの。大切にしてあげたいって凄く思うの!
そのお言葉だけ聞くと心暖まるお話です。
ですが気が付けば、一瞬でその話はなかったことかのように、そのお方は異性と仲良く距離を縮めていました。
以前お話に出された同性の、意中の子は……?聞いてみるとまるでなかったかのような、バツの悪そうな曖昧な言葉。そのとき、ああこの人は気が多すぎる性格のだけだな。と、納得してしまいました。
以前から交友関係が広いお方でしたが、反面浅くもありました。熱しやすく冷めやすいようで、好きだと思っていた、しかし勘違いだっただけ。またか……等と思ってしまいました。過去にも何度もあったことでした。そして今親しいのは異性って……!簡単に都合よく自分をLGBTに分類するな。
……相手によりけりではありますが、そう思ってしまいました。
本気で悩んでいたり、カミングアウトによって今の関係性が崩れることを恐れたりする人達もたくさんいます。多様性を認めよう!そんな声を挙げているのは一部の人、そして多様性を理解している人もごく一部の人しかいないです。
ピーマンが嫌いな子どもに、すぐに好きになれ!と言っても無理です。余計に嫌いになります。そんなわたくしは大人になってもピーマンは苦手です。そういうことです。
無理やり認めさせられるわけないのですから、何も押し付けてはいけない。
当事者はそれらを理解しています。だから簡単にファッションのように自分の属性をころころ語る人間が苦手なのです。何故分かるのか、当事者ら同士は自然と分かるのです。不思議ですね。
男の人が「わたし女の子です!」と言っても、流石に嘘だと分かりますが、男の人が「わたしは男の子です!」と言ったら、同性なら分かるよ同士。って、なりますよね。……なんかこの例えは少し違うような気もするけれど、本当に不思議なもので、同じ属性を持っていると悟られる不思議な世界なのです。
だからこそ、今同性の子が好きなの!いつか一緒になりたいと思っている!そう話す人の言葉を聞くと、真偽が分かります。不思議ですね。
自覚がないだけで、本当にLGBTとして生きる人はいると思います。割合は左利きと同じ割合で存在するのだとか。遺伝子上なのか、神様の悪戯なのか、なかなかに難解ですね。
しかし、軽率で安価な言葉ではないことだけ、頭の片隅にあればいいな……。とだけ、思うのでした。責任の持たない言葉は、どのような言葉でもどこかで人を傷付けることがあります。わたくしも注意したいです。
文章:小崎