コラム

そのうち服も着なくなるかもしれない

出典:© いらすとや. All Rights Reserved.

レンタル屋とかに通ってたら痩せそう

最近は何でも電子化されているのを見ると、寂しい世の中になったなと痛感する。

確かにメールや音楽アプリ、動画配信サービス、電子書籍など、とても便利だ。だが虚しさを感じはしないだろうか。買ったけど、手元にないから実感がない。かたちに残らないという寂しさ。棚も心もどこか空いているみたいな。

昔、誕生日のお祝いをしてもらうなら電話と手紙、どっちがいい?というのを授業でやった気がする。

何人かは相手の声が聞こえて嬉しいから電話とか、それぞれ言っていたが、筆者は断然手紙派だった。確かに電話で祝ってもらうのも嬉しいだろう。だが、人間の記憶とは哀しいことに、嬉しいことも楽しいことも忘れてしまうのだ。会うこともなくなれば、祝ってくれた相手のことも忘れるだろう。だが手紙は、自分が手放したり、失くしたりしない限りいつまでも残り続ける。

掃除などをしている時にたまたまそれを見つけ、懐かしいと思い出に浸るのもいい。

写真にしてもそうじゃないだろうか。アルバムが何冊もあって邪魔だとか思っているのだろう。だがあまり心配しなくてもいい。それが友達ではなく兄妹、自分の子供だったら、3人以降は撮る数が減ると思うから。

本は燃えてなくなっても中身はなくならない

かたちあるものは必ず終わりがくる。人間を含めた全ての生物も建物もお守りも本も、いつかは朽ち果てるのだ。それがこの世の理。だから筆者はあまり物に頼らないようにしている。何故なら、さっきも言ったように必ずなくなってしまうからだ。そのなくなるものに頼り切っていると、いざそれがなくなった時、絶望してしまうかもしれない。絶望とまではいかなくても、酷い抑うつ状態になると考えてしまう。

それに、物そのものに力はない。何かのお守りを持っているから守られているのではなく、それに対する思いか何かが守ってくれる、若しくは何か根性や勇気をくれるのだと筆者は考える。要はそれに込めた思いが大事ということだ。そう思っている方が、なくなってしまっても立ち直りやすそう。

ならば何故、電子化されることを寂しく思うのか。言っていることが矛盾していないかとか言われそうだ。

確かに先述したことと後述したことは矛盾しているかもしれない。だが、こうは考えられないだろうか。終わりがあるから愛おしいと。

身の回りのもの全てが電子化して手に取れなくなってしまうと、愛おしさが半減、ていうか全くなくなってしまうのではないか。

余談とかあってもいいよね

あるところに、仕事が命の男性がいました。自分の仕事に誇りを持ち、毎日が満たされていました。

月日が流れ、男性は年を取り、定年退職することになりました。

大好きだった仕事がなくなり、何の生きがいも無い。家に閉じこもっているうちに男性は酷い虚無感を覚えました。

「このまま生きていたって、意味がない…」

男性は虚無の中で生きることを止めようとも思いました。

そんな男性の果てしなく続くと思われた虚無感は、ある日突然満たされるのですが、男性の身に一体何があったのでしょうね。

因みにこの話は続きません。

つまり何が言いたいのかというと、ひとつのもの(終わりのあるもの)に執着しているとろくな目に合わないということです、ざっくり言うと。

終わらない幸せが見つかるといいですねぇ。

 

文章:ぴえろ

関連記事

  1. 【第一回】【「これから何が売れるのか?」がわかる人になる5つの方…
  2. 平成も昭和扱いされてるようだ
  3. 優秀な人から昇進できるわけではない
  4. アイデンティティ、固めたいですよね?
  5. プロ棋士を生で見た感想
  6. 情報化社会
  7. 精神状態が不安定な時に
  8. 映画『ガンジー』をご紹介

おすすめ記事

パンの「冷蔵保存」はNG!

筆者は週に2回くらいパンを買って帰ることがあります。そんな時、母もパンを買ってい…

『幼い頃に見ていた…』―子供の頃の純粋な心に戻りたい―

子供の頃見ていた…景色は全てが…奇麗に見えて…

支援の充実している就労移行支援事業所の紹介

 今回は東京北区にあるファーストゲート(就労移行支援事業)について、簡単に紹介したい…

ウクライナ情勢についての雑感

経済は欧州では下から2番目の貧困国で地政学的に緩衝国家であるウクライナは今ロシアに侵…

二次元時間術

時間は線のように一次元的に流れていると言われています。例えば、YouTubeなどをダラダラと…

新着記事

PAGE TOP