コラム

貧乏教信者のテロリスト

日々が不安すぎるので、気休めにYouTubeで占いチャンネルばっかり観ていたら、かえってわけが分からなくなりました(挨拶)。

と、いうわけで、フジカワです。

コロナ禍の初期の頃、その煽りで家の近所に唯一あったラーメン屋が潰れたのですが、「ラーメン欲」を思いついた時に満たせないのは、地方の民の悲哀だなあ、と思う今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。

今回の記事は、「タチの悪い宗教だ!」とかいった話です。

ニュースチェックの時間

さて。仕事ですから、やっぱり引き続き、ニュースはチェックします。

最近はちゃんと、情報ソースを吟味してから読むようになりました。

なので、無駄にイライラすることもなくなりました……と言いたいのですが!

「まず、優越感を刺激する」

これは、ニュース記事に限らず、YouTubeでも当てはまる。

そんな餌に俺は釣られクマー!(大概古い)

そういうニュースを読んでいて、大変まろやかな気分になりました。

一定のリスペクトはする

世間を回しているのは、「善良で勤勉なる社会人」の方々です。

皆様、日々額に汗し、心身をすり減らしている。

それが多数派であることには、疑いはないです。

まして、そんな方々をバカに出来ようはずもない。

しかし、そうであるがゆえに、いささか狭量。

どこがか?

「逸脱者を許さない」

ここですよ。

「フルタイムで必死に働く」

それが「多数の常識」。

で、あるがゆえに、「定義の外」が許せない。

そこに、「個人の事情」は存在しません。

例示

直近で見たのは、こんな記事でした。

一つは、「定年後、再雇用されたシニア世代」。

他方は、「幸せな、子供部屋おじさん」。

シニアについては、「給料の割に使えない」。

もはや能力がない、給料も下がった。

それでも、その水準は、新人と同様。

使えないのになぜだ、許せない、という趣旨。

子供部屋おじさんについては、こんな感じでした。

40代になっても実家住まいで、アルバイトだけやっている。

生活費がかからないので、その状態でも、貯金が200万円程ある。

ただし、本人に悲壮感はなく、気楽かつ幸せ。

「一般的」には?

「会社では、能力に見合った給料をもらうべき」

「40代にもなれば、いろいろ責任を背負うもの」

こういうのが「普通」とされます。

実は僕、「常識」とか「普通」って言葉が大ッ嫌いです。

ただ、それは個人のスタンスなので、脇に置きます。

話を戻して、上記の「多数派の普通」について。

能力相応の給料のためは、必死になります。

組織に属する、あるいは家庭を持つ。

そうすれば、「背負うもの」が発生します。

そのプレッシャーたるや、半端はないです。

「能力がないのに(下がったとは言え)高給をもらうシニア」

「お気楽極楽に、寄生虫上等な生活をしている子供部屋おじさん」

これらを読んだ人が抱く、あるいは書き手が抱かせたいことが見えます。

それはつまり、

「俺がこんなに日々大変な思いをしているのに、安全圏で怠惰ぶっこいてるのは、メチャ許せんよなあ!?」

という嫉妬です。

一応僕も、自分の腕で食っていた時期がありました。

なので、無能な社員に高給を払うというのは、「ん?」とは思います。

ではあれど、僕個人の意見ですが、嫉妬ほど醜いものはない。

しかしながら、どうやら世間は嫉妬で回っている様子。

それでなくとも、働けど働けど、我が暮らし楽にならず、という人も多い。

だから、楽をする奴は許せない。

全力で嫉妬するか、足を引っ張るかする。

その負のエネルギー、徹頭徹尾無駄ですよね。

僕もあんまり、こういう言い方はしなくない。

しかし、あまりに非生産的です。

そもそも、四六時中嫉妬、あるいは怒るとかさあ?

それこそ無駄に疲れるだけじゃね? とは、個人の意見。

おまいう案件?

多様性、という言葉が、近年盛んに叫ばれています。

で、あるにも関わらず、「均一性」がよしとされてませんか?

労働者の賃金が上がらないのは、確かに問題です。

少なからぬ人間が、貧困に喘いでいる。

ゆえに、まるで、

「俺が貧乏だから、お前も貧乏になるべきだ!」

という風潮であるように思います。

悲しいながら、やはりそこに「個人の事情」は存在しません。

僕なんかもそうですが、障碍等のハンデを持つ人間もいる。

そこを含めての「多様性」であるべきでしょう。

しかし、これも残念なことなのですが……

「そんなもん、知ったこっちゃねえ!」

というのが、多数派の様子。

だったら、今後一切「多様性ガー!」とか言うな。

新興宗教貧乏教

すんげえ偏った見方なのは承知の上で、こう書かせて頂きたい。

「馬車馬に乗った貧乏神」

僕には、現代日本人が、こぞってこれをご神体にしているように思えます。

俺より少しでも稼ぐ奴。

俺より少しでも楽をしている奴。

そんな連中は、人権を剥奪してもやむなし!

むしろ、余さず駆逐すべし!

こんな、タチの悪いテロのような思想。

どうにも、そういうのが蔓延しているように感じる。

ただの気のせい、考えすぎなら、それでいいんですよ。

しかし、あらゆる方面で「不寛容」になってきている。

ゆえに、奇妙、かつ大変息苦しい。

まとめ

ってことで、まとめます。

「はみ出し者」は、いつの世にもいるものです。

そして、そういう「普通じゃない」人間にも、それぞれの事情がある。

そこに理解を至らせる余裕すら、ないのかもしれません。

仕方ない一面はあれど、いたずらに憎むだけですか?

不健全極まりないし、人間性が歪むと思います。

恨みや妬みを原動力にする。

これは、時と場合によっては、効果を上げることもあります。

でも、大概は、ろくなことになりません。

そういうもんです。

誰かを恨むことでしか、自我を保てない。

そんなタイプが、最近増えた気がします。

他人の心配なんか、している暇はない。

にもかかわらず、常に誰かが誰かを恨んでいる。

またあるいは、妬んでいる。

社会全体が、殺伐としている。

世間の空気が、もはや痛い。

己の障碍云々以前の問題として、窒息寸前。

僕の今の心境が、少しでも皆様にも届けば幸いです。

 

んじゃまた。

 

文章:フジカワ

関連記事

  1. 障碍者の婚活の実態
  2. 伊藤裕『なんでもホルモン 最強の体内物質が人生を変える』朝日新書…
  3. メンタルが大事
  4. エッセイ:『不思議な事』
  5. 女尊男卑でもないと思うが?
  6. がんばるコンビニ
  7. 安直なツールとしての「蛙化現象」
  8. 欲しくなる心理のスキをつかれること
PAGE TOP