これを書いている今日、通勤時のバスが大幅に遅延したんですが、ギリギリ遅刻せずに済みました(挨拶)。
と、いうわけで、フジカワです。
遅刻しなかったのはよしとしても、ドチャクソに眠くて仕方がない今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。
今回の記事は、「読書、しようぜ?」とかいった話です。
ラノベの売上が?
さて。先日、似通った話題を、まったく別の所で見ました。
それは、「一頃に比べて、ラノベの売上が落ちている」という話。
一方は、今や似たり寄ったりになっている、ジャンルの問題を指摘していました。
もっともこれは、「売れているタイトルが」という側面。
ラノベ界隈ってのも、意外と懐が広いですから、個人的にはそこまで大騒ぎしなくてもいいとは感じます。
それに、ラノベが完全に死滅したって話でもないですし。
他方の記事では、
「ネット小説界隈から書籍化することは、あらかじめ読者の選抜を経ている作品だから、売れて当たり前」であり、
「どこまで行っても書籍編集者の感性は世間とずれているため、旧来の書籍出版方法が通じなくなっている」。
そのままの引用ではないのですが、おおむねこういう趣旨でした。
ちょっと違和感を覚えます。
確かに、売れなきゃ意味はないが
世の中、売れている物がイコール素晴らしいわけじゃあない。
これは、僕が大好きなパンクロックバンドのボーカルが言った言葉なんですが。
「一番売れている物が一番素晴らしいなら、この世で一番うまいラーメンは、カップヌードルという事になる」
これもそのままの引用ではないのですが、こういう趣旨です。
なるほど、出版も商売ですから、売れないものを出しても仕方がない。
流行を意識するのも、商売なら必須です。
ただ、それが全てか? とは、また話が違うでしょう。
編集者というのは、プロフェッショナルです。
一般受けも大事ですが、「プロの目利き」で選ばれた作品もまた、面白いもの。
映画とかでもそうですが、売れるものしか作ってはいけないのなら。
しばしば単館上映しかされない「尖った逸品」の存在意義、理由がなくなってしまいます。
多数派の意見も重要ですが、そこ「しか」見ていないと、実に味気ない。
国語力の話、アゲイン
これは、厳密には「α世代」(Z世代の次)が主題だったのですが。
今の子ども達は、塾や習い事で忙しく、自由に使える時間(可処分時間)が少ない。
その上、価値観的にも、全てのメディア(媒体)が平等であるために。
「すぐに楽しめるもの」が必要だという理由から、「五分で読める小説」をリリースしているところがあるそうです。
これも、少し違和感を覚えました。
「可処分時間が少ないから、短時間で楽しめるものを」
これ、一見は時流に合わせた賢明なマーケティング戦略だと思われますが……
子ども達側に、「可処分時間を繋げる」という発想はないのでしょうか?
結構前に、こういう記事を書かせて頂きました。
「Z世代と自己責任」
根っこは一緒だと思うんですよね。
要するに、本(=長い文章)を「読まない」んじゃあなくて、「読めない」。
可処分時間を繋ぐという意識もなく、結論を急ぐだけならまだしも、そもそも長文が読めない。
そりゃあもちろん、今の若い子が「全てそう」ではないでしょうが。
少なからずいるのは事実の模様。
こんな有様で、真の意味での「読書体験」ができるのか? 無理ですよね。
読書格差?
前掲の、「Z世代と自己責任」の記事でも触れたとおり。
「読解力」、「国語力」というのは、「生きる力」です。
これもまた、別の所で見たのですが……
読解力のない新入社員は、「こいつに判断をさせてはいけない」という評価を受けて。
結果、「すぐに替えの利く(簡単にクビにできる)ポスト」に回されるそうです。
読解力、国語力を鍛えるためには、論理立った長文を読むしかない。
それを面倒がる若い子がいるのは、別にどうでもいい。
ただ、そのうち「読書」という行為自体が……
「一部の物好きのための、奇っ怪な趣味」
あるいは、「選ばれし特権階級のみが楽しめる趣味」になり。
そして「生きる力」という側面で、どうしようもない「格差」が広がり続ける。
そんな気がするんですよね。
最も深刻な格差
格差、という言葉を聞かない日がないほどの昨今ですが。
「読書格差」というか、「国語力格差」というのは。
「教育」、「経済」よりも「根本的」であるがゆえに、最も深刻なんじゃ?
だって、国語力がない=論理立てて物事を考えられない人間が。
社会を「動かす」側に回れるはずがない。
逆に、そんな奴が動かせる社会なんか、まずありえない。
しばしば(短文でコミュニケーションが成立する)SNSが悪者にされますが。
それ以前の問題として、「長い文章を読む」ことを。
どんな言い訳であれ面倒がるなら、その子には、未来がないでしょう。
やっぱり、困るのは本人だけ。
なんなら、困り始めた人間が。
その責任を社会に転嫁する未来も見える気がします。
ちなみに、僕自身も、言うほどの読書量はないんですけど……
中高時代、国語の教科書を読むのが大好きでした。
そのレベルでいいんですよ。
まとめ
ってことで、まとめます。
昨今、SNSを通じて安易に「闇バイト」に手を染める若者が、しばしば話題になりますが。
あれも「国語力」があれば、簡単に回避できるんですよね。
世の中というのは、予想外に悪意に満ちているもの。
騙す側は、いつだって狡猾です。要は頭がいい。
残念な話ですが、闇バイトの犠牲者は、今後もどんどん出てくるはず。
大半は若者達本人の責任ではあれど。
「教育」を怠った親世代の責任も、多少はあるでしょう。
僕は「暗記してナンボ」の学習法には、最初から猜疑的なのですが。
学校であれ、塾であれ、どこかで「生きる力」を教えないと……
やっぱり、若者の将来は真っ暗でしょうね。
まるで僕が「そういう未来」を待ち望んでいるかのようにも取れますが。
当たらずといえども遠からず、とは言っておきます(おい)。
んじゃまた。
文章:フジカワ