何があったわけでもないのに、無性に気分が殺伐として、一歩間違えば警察沙汰になるほどの不安定さについて(挨拶)。
と、いうわけで、フジカワです。
仮に汚泥が自我を持ったなら、やはり一人称は「オデ」になるのか?
……と考えかけて、「汚れた泥」というのは「客観的な事実」でしかないので、自分で自分を「汚れている」とは思わないよなあ? と結論づける今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。
今回の記事は、「情報のシャワーがしんどい!」とかいった話です。
またも闇を見た
さて。いかな僕とて、日々のネタが「溢れて止まらないぜメーン!」と言うわけではありません。
前もって言いたい(書きたい)ことが決まっている場合はいいのですが、そうじゃない時もある。
なのでやっぱり、スマホでニュースを見て、ネタ探しをするのですが……
なまじノンジャンルで見ているだけに、嫌な思いをすることも結構あります。
と、申しますか、やっぱり世間的に「ウケが良い」のは……
「社会通念上逸脱した人間が、懲らしめられる」
系のネタ。
以前の記事の、こちら。
「フィクションのお仕事」
でも触れさせていただきましたが、需要があるから供給されるんです。
そこに今さら文句を付けてもどうしようもない。
生きているだけでしんどいですし
今のご時世の皆様、全方向に恨み辛みがある。
それを、おおっぴらに発散できないなら、「うっ屈のはけ口」を求めるのは自然かと。
(これは、前掲の「フィクションのお仕事」でも触れましたね)
……要はみんな、「はみ出し者をリンチ」したいだけなんだと思います。
書いている僕自身が、かつていじめられっ子で、「イジメ」に強い怒りを今なお覚えているにせよ。
所詮、という言い方はひねくれていますけど、どれだけ綺麗事を並べようが、結局、弱い者イジメって快感なんだってことでしょう。
それはもういいんですよ。
偉そうに言ってる僕自身、その「リンチ」を快感だと思う側面も持ってますし。
不愉快だったのは?
僕が暗澹たる気持ちになったのは、女性誌のサイトに出てくる広告でした。
OK、夜の生活関連のそれは、いかに煽り文句がセンセーショナルであれ、まだ一応許せる。
どっこい、パ○活関連はダメだろ。
広告上でも上記の伏せ字表記でしたが、意味がないだろ? ってことじゃあない。
なるほど、春を売買しなければ違法ではない(罪には問われない)かも知れない。
若い女性の小遣い稼ぎの手段として、今や定着しており、いまさら目くじらを立てるのもおかしいだろう。
僕自身、怒るつもりはないにせよ、それすなわち、認めているわけでも、まして奨励しているわけでもない。
むしろ、パ○活という行為、果ては言葉自体に……
「絶対に相容れないがゆえの、途方もない嫌悪感」を覚えている。
イエス。これは個人の宗教上の理由に近しい。
そして、信仰の自由はあれども、個人の価値観を押しつけることほど、狭量な話もない。
これもまた、需要と供給の上に成り立って「しまった」物であるがゆえに、売る側も買う側も、ぶっちゃけ、僕が関知したものではない。
まとめて滅びろ、とも思っているのですが、もはやそれはただの個人のインネンです。
なので、「いかがなものか!」と言っても意味がないどころか、そんなもん、今やただのピエロです。
自衛したい
そういう「見たくないものを無理矢理見せられる苦痛」に対して、僕は「うん☆ざり」しているのです。
取捨選択すればええやんか? って話ではありますし、それに異論はないです。
ただ、「予想外のところから、強引に押しつけられる」ケースが、割と多いんですよね。
女性の皆様には大変申し訳ないのですが……
(カルチャーのみならず、ソーシャル的にも)軽薄な流行りを追ってナンボ、という女性誌。
そんなもんは、抜粋であれど、もう見ない方がよいかな、と思っていても。
「無理矢理見せられる」ことが、かなりあるんですよね。
唯一の防御手段は、記事の詳細を見る前に、情報ソースが小さく隅っこに出ているので、そこで判断することぐらい。
見たくないものは「見ない自由」を行使したいのですが……
残念ながら、ご時世的に、なかなか難しいようです。
まとめ
ってことで、まとめます。
日々絶え間なく、否応なく浴びせられる、情報のシャワー。
全てが真実ではなく、悪意のあるそれも少なくない。
結局のところ、情報リテラシーが重要になるわけですが……
シャワーと言うより「情報の嵐」の中、ゼロから育むのは、至難の業です。
特に、若者なんかが危ない。
上の世代がしっかりしていないといけないものの……
古い世代ほど、その若者の無知につけ込んで、自分達の都合のいいように操作しようとする。
タチの悪い話ではあれど、多分この構図は、昔から何も変わってないのだと思います。
今は、下手に多様な意見が溢れているだけ、なお危ない。
「何も知らない」というのは、美徳であり、罪です。
自我というものは、自分以外が育てられる物ではありません。
そのうち、「自我の育て方」というセミナーが流行って……
恣意的な「洗脳」がまかりとおる。
そんな未来は?
んじゃまた。
文章:フジカワ