コラム

安直なツールとしての「蛙化現象」

言いたいことを、あらかた全部こっちのブログに書いているので、自分の個人ブログに書くネタがありません(挨拶)。

と、いうわけで、フジカワです。

僕は日々、スマートバンドで睡眠をスコアリングしているのですが、目覚めのテンションと数値の正直な比例関係に感心する今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。

今回の記事は、「蛙化現象、軽々しく使うなよ?」とかいった話です。

前提

さて。今回の記事、以前こちらで、別の方が書かれた記事と関連します。

「本来の『蛙化現象』とは?」

https://t.ly/bUFL7

僕としても「なるほど」と思いました。

しかし、それから後に、(恒例ですが)スマホでニュースを読んでいて、「ん?」と違和感を。

またもZ世代を無意味にディスる事にもなりかねませんが。

「ごく個人的には」こう思う、と思ってご覧頂ければ。

曲解されている現状

前掲の記事でも触れられているとおり、「蛙化現象」というのは、「本来は」自己肯定感の低い女性が(主に)なるらしい。

それはそれで、深刻な話ではあります。

が、僕が見たネットのニュースでは、「蛙化現象」が「Z世代のトレンド」になっているとのこと。

曰く、

「電車の吊革につかまっていてもよろける」

「フードコートでトレイを持ってキョロキョロしている」

「ICきっぷの残高不足で、改札を通れない」

こういうことで、「蛙化現象」を起こすそうです。

ごめんちょっと意味分からない。

お待ちやがりなさい?

この「蛙化現象」、Z世代の間では、会話のネタ、コミュニケーションの手段の一つらしい。

個人的に違和感を覚えるのは、先述した「実にどうでもいいこと」で、あっさり「蛙化」する点。

要するに「蛙化=幻滅する」ってことですね。

残念ながら、そこに「自己肯定感がうんぬん」は介在しません。

「本来の」意味がどうであれ、「間違った解釈」で、広く使われてしまっている。

しかし、どーーーしても、「お待ちやがりなさい?」と言いたい。

先述の通り、あまりに些細なことで「蛙化」している。

それを「許容する」心の余裕すらないのか? だとしたら、器の狭い話もあったもんだ。

そもそも、「相手に期待しすぎて」いる、もっと言えば「完璧」を求めてないか?

その時点で間違っている。完璧な人間なんざ、この世にいません。いるはずもない。

「ちょっと自分が気に入らないから」、即座に蛙化(幻滅)するのか?

はっきり言おう。そんなもん、愛じゃないよ。

悪く言えば、「白馬の王子様はトイレになんか行かない」。

そのレベルの、少女マンガの世界から抜けられていないだけだ。

逆説的に言えば?

「コミュニケーションの手段」として「蛙化現象」を使っているなら、あるいは、ですが。

「恋人が蛙になる時」を、「待ちわびて」いるのかも知れない。

ひとたび「蛙になれば」、そこから話題が生まれ、コミュニケーションが発展しますからね。

「格好のツールとしての」、蛙化現象。

これほど、恋人に対して失礼なことがありますか?

さらにひねくれれば、「冷める前提で好きになっている」とも言えるかも。

「そんなの愛じゃないね! それは、暴力だね!」

(このセリフには元ネタがあるのですが、分かる人はまずいないと思われますので、解説は省きます)

まとめ

ってことで、まとめます。

Z世代の間で、実に安直に使われているらしい、「蛙化現象」。

真剣に「自己肯定感の低さ」に悩む人の事情は脇に置かれ、一人歩きしている。

「完璧」を求めているか、あるいは「恋愛を(一過性の)コミュニケーションの手段にしている」か。

いずれにせよ、そこに「相手」はいません。

極めて自己中心的な振る舞いです。

これに対して、別に、「いかがなものか!」とか、「嘆かわしい!」とか言うつもりは「一切」ありません。

それこそ、以前の記事、

https://t.ly/8voN

で書いた、下世話なマスコミじゃあるまいし。

それはそれでいいんですよ、僕は。

なんせ、「身近な周囲(コミュニティ)」が「そう」でもなければ、Z世代の女の子と交際したいわけでもないですし、率先して交わる義務も、必要もないので。

確実なことは、そうやって「蛙化現象」の名の下に、人の心を「道具」扱いした者は。

長い目で見た場合、いつか、しっぺ返しを食らうってことですね。

今のご時世、ずっと一人で生きていくのも、立派な選択肢ではありますが。

恋人、パートナーに限らず、「他者との関係性」は、どのレベルであれ、つきまとうもの。

散々「他者の心をないがしろにした者」が、良好な人間関係を築いていけるか?

僕の記事の、恒例の結びになっている気がしますが、困るのは、本人だけです。

自業自得の目に遭っている(あるいは、遭うだろう)のに、ご丁寧に救いの手を差し伸べる必要もない。

冷たいかも知れませんけど、「関係のない他人の将来」まで、皆様も、逐一考えないと思います。

つまりは、そういうことです。

んじゃまた。

 

文章:フジカワ

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