コラム

誇張と消費

実はこれを書いている今、お腹の具合が大変悪いという残念な事実(挨拶)。

と、いうわけで、フジカワです。

(ワープロソフトの)「一太郎」が、なぜ年間サブスク制にならないのかが地味な疑問になっている今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。

今回の記事は、「マスコミってのはね?」とかいった話です。

前提

さて。僕は基本的に、テレビを観ません。

そりゃあ確かに、最低限のニュースぐらいは観ますけど、それにしたって、NHKだけで、民放局は嫌いです。

最近は、そのNHKですら、ニュースの一部をAIによる自動音声で流すようになり、ますますもって「テレビである意義」が薄れてきてるなー、と思います。

いついかなる時も「そう」であれる自信なんてもんはないのですが、「一歩引く」のを心がけているため、「快楽」に訴えかけてくる民放局が嫌いなんですよね。

テレビでなくとも……

こうやって、ここのブログ記事を書くようになって、日々、スマホでニュースをチェックするようになりました。

情報ソースは種々様々なんですが、やはり、(特に中高年向けの)週刊誌やスポーツ新聞などは、「快楽」を煽ろうとしていて、どうにも好きになれません。

じゃあ、その「快楽」って何だ? という話なんですが……

悪く言ってしまえば、「一過性の義憤と、優越感」です。

どうも、下世話なメディアは、一般大衆のそれらを、やたら刺激しているだけに思えます。

例示

例えば、直近で読んだのは、こんな記事でした。

「違法売春や大麻にハマリ、将来に何の希望もない十四歳」

そういう見出しじゃなかったのですが、記事の内容としては、こんな感じでした。

要するに、シメとして「いかがなものか」と苦言を呈しているだけ。

そこには読み手の、

「弱者を生んだ社会への義憤(正義感)」と、

「自分は『そう』ではない(なかった)という優越感」

が、存在しているように思えてなりません。

また、針小棒大(しんしょうぼうだい。物事を大げさに言うこと)に、その「極端な一例」が、あたかも「全体像」であるかのような論調です。

「簡単」ですから

責任を認めず、他者(あるいは周囲の環境)に転嫁するのは、楽です。

誰だって「考えたくない」ですし、「責任も感じたくない」し、「自分が悪い」とも思いたくない。

つまり、「社会のせい」にして、思考をストップさせれば、圧倒的に楽。

さらに、例えば先述の十四歳の少女のように、「薬物依存で売春もやってる」なんて、「一般的には」経験のないことです。

残念なことに、薬物も売春も、やってる時点でそうですし、「将来の夢も、やりたいことなんかない」なんて言ったら、「負け犬」という世間的認識があります。

自分(読み手)は「そう」じゃない(あるいは「まだマシ」と思っている)。

そこに「優越感」を感じる。

褒められたものではないにせよ、マウントを取るのは快感です。

人間、「他者との差別化」に全身全霊を傾けますから、「他人よりも上」と認識することは、紛れもない快感です。

悲しいながら、そこに「当事者の問題」というのはありません。

さらに悪く言ってしまえば、報道されている「はみ出し者」は、「読者の虚栄心を満たすだけの道具」にすぎないんですよ。

もういっちょ言えば、「極端な一例を、その世代の全体像」と誤認させることで、「異質感、劣等感」を演出する。

そうすることで、「自分達の世代より劣っている」という、別種の優越感を満たせる。

残酷な話

読者が「いかがなものか」、「嘆かわしい」と、いくら憤ったところで、状況は変わりません。

例えば、再度挙げる、少女の売春。

報道を機に、彼女らが一斉検挙されるわけでもありません。

少女が改心することもないでしょう。

読者は「消費するだけして」、「ひとしきりの優越感を得たら」すぐにその記事のことなんか忘れます。

つまり、事件でも災害でもそうですが……

「悲惨であればあるほど」、「残忍であればあるほど」。

ひとたびメディアを通せば、「刺激的なショウ」として「消費」される。

全ての人が、それを「楽しみ」ます。

なぜなら、「自分は関係ない」からです。

残酷な話ですが、「そういうこと」なんです。

この辺、僕自身の経験に基づいて、もっと詳しい例示もできるのですが、長くなるので、割愛します。

他責思考も、楽だし

「夢を持てないのは、社会のせい」

確かに、全面的な間違いじゃない。

しかし、それって突き詰めれば、「本人(あるいは、親の教育)のせい」じゃあないですか?

「考えず、周囲に流されるまま」だと、夢とか、やりたいことなんて見つかりません。

将来困るのは、当人だけ。

「自分は悪くない」と他責思考で考えるのは、やっぱり「楽」ですよね。

例えば、くだんの少女が、どれほどノーフューチャーであろうが。

それこそ、身内でもない限り、関係がないですし、干渉をする理由も道理も意味もないです。

この辺、僕自身がそもそも「他人に興味がない」性格だからかも知れませんが……

「いかがなものか」、「嘆かわしい」と、薄っぺらく怒るポーズで自己満足に浸るなら。

いちいち惑わされず、何より大事な自分のことだけ考えてりゃいいと思います。

まとめ

ってことで、まとめます。

僕が「マスコミ」というものにそもそも猜疑的なのは、こういう理由で、です。

軽い皮肉ですけど、NHKの報道が、いわゆるところの「大本営発表」なのは、百も承知。

ただ、「薄っぺらな義憤と優越感」をせっせと煽る民放局よりは、僕にとっては、はるか以上にマシなんです。

そんな、ひねくれきっているようで、自己防衛に全振りした、個人的スタンス。

 

んじゃまた。

 

文章:フジカワ

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