新しく買ったThinkPadなんですが、職場に持ち込んだら、勝手に(=パスワードを入力せずに)社内Wi-Fiに接続されたので、「ファッ!?」と思いました(挨拶)。
と、いうわけで、フジカワです。
大変わけの分からない夢を見て、しかも寝不足とあっては、じゃあどうやってテンションを上げるんだ!? と、逆ギレしたい今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。
今回の記事は、「英語なあ……」とかいった話です。
常日頃の違和感。
さて。個人的に、日々「どうなの?」と思っていることがあります。
それは、どうやら日本人が、「英語アレルギー」なんじゃなかろうか? ということ。
そりゃあ日本人ですから、海外のものは、和訳されてしかるべきです。
が、しかし。どーにも世間の人々が、「英語、果てはアルファベットすら忌避」しているように見える。
いいとか悪いとかの問題じゃないんですよ。
ただ、声高に「グローバリゼーション!」と叫ぶ割には、その体たらくはどうなの? という、個人の意見。
実際に……
僕は観る習慣がないんですけど、テレビドラマとか、英語のタイトルでも、カタカナに直しますよね。
それを元に、番宣ポスターとかが作られる。当たり前の話ではあるのですが、なーんかデザイン的に間抜けに見えるんですよ。
だからって、英語表記にすると、多分クレームが来るんでしょう。読めないからって。
分からなくても?
どこかのニュースで読んだんですが、海外へ転勤になった人が、子どもを現地の学校へ通わせる際、英語を学んでないことに、不安を抱いたそうです。
ところが、実際は、教師も生徒も、Google翻訳を駆使して、コミュニケーションには、特段の不便を感じなかったそうです。
日本人に限らず、他の国の子ども達も、英語が全くできない子がいる。でも、やはりGoogle翻訳で何とかなっている。
技術の進歩であり、そこは別に、文句を付けるポイントではないでしょう。
(個人的には、Google翻訳よりも、DeepL翻訳の方が、精度が高いと思っているんですが)
穿った見方。
いえね? 先述のニュース記事。どーも、「読者の怠惰さを認めている」ような気がするんですよね。
英語を勉強するのは、大変です。大変なことは、やりたくない。誰だってそうです。
僕は、一応英検二級を持っていますし、簡単な英文のメールなら、辞書なしでも書けたりします。
とは言え、ネイティブの人が話しているのを聞き取れるほどではないですし、話すのも苦手です。でも、英語というものに、さほど苦手意識はないです。
今は必要に迫られていないので、やっていませんが、もし、何らかの理由で迫られれば、TOEICの勉強をしてもいいとは思います。
ただ、楽な勉強、なんてのも、あまりありません。むしろ、大半が面倒くさい。やりたくない。僕だってそうです。
怠惰であることは、楽です。努力はしんどいものですからね。
そうは言えど、「今のご時世、英語を勉強する必要はない」という論調は、その「怠惰さ」に、姑息にも、つけ込んでいるような気がするんですよね。
「世界に目を向けたいけど、英語は勉強したくない」という、ある意味「都合のいい、怠惰な」願望を「認めて」いる。僕としては、「それってどうなの?」と思います。
まとめ
ってことで、まとめます。
84歳になる僕の親なんかは、ローマ字すら読めない有様です。
また、自国語(日本語)すらおぼつかない人間も、結構います。
そんなタイプに、「英語ガー!」と言ったところで、まず無理な話です。
「世間の大多数」が「そう」である以上、いち個人が「いかがなものか!」とわめいたとこころで、どうにもならんでしょう。
ただ、いかに翻訳ツールが普及しても、「英語が話せる」か否かで、今後の世界は、どんどん個人間の差が付いていくと思われます。
僕も、ネイティブの人が話している言葉を聞き取れるようになりたいんですけどね。
今のところ、必要がないので、特に勉強はしていません。怠惰ですか?
んじゃまた。
文章:フジカワ