生命と宇宙の大法則を解き明かした仏法です。
仏典に、
「善と悪とは無始よりの左右の法なり(中略)元品の法性は梵天•帝釈等と顕われ元品の無明は第六天の魔王と顕われたり」とあります。
生命には、本来そういうものが、もともと具わっています。
不幸の根源である元品の無明が、第六天の魔王として顕われるのです。
仏法ではそう説きます。
「無明」とは、根本の煩悩の一つで、生命にそなわる根源的な無知。特に自らをはじめ万物が妙法の当体であることがわからない、最も根源的な無知を「元品の無明」といいます。
仏典に、
「この世界は第六天の魔王の所領なり。一切衆生は、無始已来、彼の魔王の眷属なり。」とあります。
「われわれの住む娑婆世界は、第六天の魔王の所領である。一切衆生は無始已来、第六天の魔王の眷属である。」という意味です。
その魔は、あらゆる姿を現じて顕われてくる。
仏典に、
「第五の巻にいわく『行解既に勤めぬれば、三障四魔、紛然として競い起こる。乃至随うべからず、畏るべからず。これに随えば、まさに人をして悪道に向かわしむ。これを畏れば、正法を修することを妨ぐ』等云云。」とあります。
外からは、人によって妨害されたり。例えば、悪口罵詈されたり。逆に甘く語らい、その人に、信仰を辞めさせたりするのです。
また、内からは、疑いや、不安などや、やる気をなくさせたり。
また欲望などによって、信仰をさせないように働きかけたりと、いろいろな形で顕われます。
それに従っても、恐れてもならないと、仰せなのです。
それを打ち破るには、
仏典に、
「元品の無明を対治する利剣は信の一字なり」とある様に、
私自身、純心にして強盛な信仰心しかないと思っております。
また、それぞれ人によって信じるものがあると思います。
自身を信じたり、科学を信じたり、親を信じたりと。
自他共の幸福のために、それぞれが、自身にとって一番大切な信念を貫いていきたいものですね。
文章:シャーペン
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