「其の罪は畢[お]え已[お]わって」と読み下します。
不軽菩薩が礼拝行を貫いて、人々からの迫害を受けて、過去の謗法の罪を受け尽くして消し去ることができた。という事です。
原因結果の法則が、確かに存在すると思われます。
一生懸命に勉強すれば、それだけ頭が良くなるように。
怠けて勉強しなければ、その事については、何もわからない様に。
棒の片方を上げれば、その反対側も上がるように。
原理原則です。
これは、どうしようもない法則です。
過去にしたことが、現在、未来に、結果として現れるという事です。
過去にしたことは、関係ないと言い逃れは出来ないのです。
報いは、受けなければならないのです。
そう仏法では説きます。
けれども、ありがたいことに、この仏法を信じて実践することにより、転重軽受(てんじゅうきょうじゅ)と言いまして、「重きを転じて軽く受く」と読み下しますが、過去世の重罪を転じて、現世でその報いを軽く受け、消滅させる事が、出来るのです。
今、苦しいおもいをしているのは、過去にその様な原因を作っているからなのです。
「運命」という言葉がありますが、何故こんなことになるのかと思う事が、よくあります。
しかし、「運命」は変えることが出来るのです。
今一度、この仏法に耳を傾けるべきだと思います。
文章:シャーペン
画像提供元 https://foter.com/d/d.php?f=https%3A%2F%2Flive.staticflickr.com%2F65535%2F52209520990_cba330def4_c.jpg&s=470ac9067a366ca83633c68212fe1af3