人は誰でも良くなりたいと願っているものです。
悪くなりたいなんて誰も思わないでしょう。
自暴自棄になることもあるかもしれませんが、それも心の底では良くなりたいと思うからこそそういう思いになるのだと思います。
人は誰でも意識するしないにかかわらず幸福を追求しているのだと思います。
人生にとって一番大切なこと。
それは、幸福になることだと思います。
そのために人は努力をしていると思います。
しかしその方法が、わからないからこそ悩むのだと思います。
その方法があるのかないのか、それが問題です。
誤ったもの、間違ったものを信じるとそれがどんなに善意に見えたとしても、不幸にならざるを得ない。
正しいものを信じれば、幸福になります。
それが正しい法、正法です。
不幸の根源、それが誤った法なのです。
それを信じて実行するかしないか、そこが幸不幸の分かれめです。
信じて実行すれば納得がいきます。
それを悟ったのが釈尊です。
仏典に「一切声聞. 辟支仏所不能知」とあります。
「一切の声聞・辟支仏の知ること能わざる所なり。」なのです。
未曽有の法なのです。
それは、難信難解です。
信じることが難しく解ることが難しい
そう説きます。
未だ曽てない法だからです。
そのことを信じ切れるかどうか。
三証というものがあります。
文証、理証、現証。
文証、
その考えは自分勝手に言っているのか、聖典のうえで裏づけをもっているか
理証、
その教義や主張が道理にかなっているかどうか
現証、
その教義に基づいて信仰を実践した結果が、生命や生活、そして、社会にどのように現れたか、現実の証拠です。
理論のうえでも、現実のうえでも納得のいく正しい法なのです。
実際に試して実験してみると納得がいきます。
何を信じて実行するかどうか
それは、あなた次第なのです。
共々に幸福に。
そう願っています。
文章:シャーペン
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