コラム

エッセイ:『ある愚考のひとつのかたち』

 

何にも騙されないようにしようとするのは、かえって愚かなのだろうか。

ここに、ひとつ愚考を物してみようと思う。

 

騙されないということは、賢いことであるように思われる。

だから、賢くあろうとするなら、騙されないようにするのは自然なことだ。

 

しかし、底なしの懐疑主義に陥るとするなら、話は別だ。

 

何気ない日常の決まり事や所作などまで疑いだすと、体調が悪くなる。

 

ある歌手が、いろいろ疑って考えすぎるようになったら、横断歩道を左足から渡るか

右足から渡るかまで考えるまでに至り、どうしようもなくなった、と言っていた。

 

考えすぎるというのは、ある意味でからだに毒である。

他方で、よく考えたときほどよく生きたことはない、というのも本当であるように思われる。

 

ここに一本のペンがあるとして、それが持っている歴史性に考えを巡らせれば、その成り立ち、シャープの早川氏の人生、製造工程や私の手元にやってくるまでのあれこれは、世界のすべてとつながっているから、その想像のなかであらゆる人生を生きることができる。

 

考えるということが人間にとって大事なよりどころとなるものだというのは、だれも異論のないことだと思う。

 

考えるということと疑うということを混同するのがいけないのではないか、と思ったが、わたしにとって考えることは「ほんとうにそうか?」と考えることであって、両者はそうそう簡単には切り離すことのできないものなのだ。

 

とはいえ、わたしも含めてほとんどの人は、「考えすぎる=堂々巡りの思考を繰り返す」ことであるように思われる。そういうことがなく思考がどんどん先に進んでいって何かしらとんでもないところに到達して大きな視界が開ける、といったことはあまりない。あるいはまったくない。

 

およそ生きていくうえで楽しみというものは欠かせないが、それに溺れてしまうとそもそも楽しいのか楽しくないのかわからなくなることが、ある。

わたし自身のことを振り返ってみても他者のふるまいを見ても、依存に陥ってしまい大事なものを見落とすということがありふれている。

 

それが楽しいと感じられるのは、ある「弱さ」を意味している、あるいは何かによって騙されているからだ、ということが考えられるのだ。

 

しかし他方で、そのように考えることは、溺れてみなければ分からないこともある、単にそれの良さが分からない、もっと言えば楽しみの不能、すなわち「楽しむための能力の欠如」を意味するかもしれず、なにもいいことはない。

 

子供のころのことを思い出してほしい。

みんなおもちゃで遊んでいたと思う。今から見れば子供だましのおもちゃである。

 

この世界でつくられるあらゆるもの、電化製品でもいいし社会制度でもいい、テーマパークでも何でもいいが、いろいろなからくりやしょうもないおもちゃにわたしたちが踊らされるのは、それらが子供だましであると見破ることができるほどに大人になれないからだ。

 

ある集まりでディズニーランドの話になって、「中年男性が一人で行くところではない」と発言したら目の前の男性が「僕行きますよ」と言って場が凍りつき、わたしが途方もない悪者にされたことがあった。

ディズニーランドと北朝鮮は高度消費資本主義が産み出した双生児であり、まさに騙しであって、あんなところで遊ぶなんて「労働じゃないか」などと言うのは本音で正しいとしても口に出してはいけないことなのだ。

 

 

完全に何にも騙されないほどにからくりを知り尽くすのは、面白くもなんともないし、そもそも不可能なことだ。

 

若いころジャズに熱狂した作家が、「最近コルトレーンが聴けなくなった」と対談のなかでぼやいていた。聴きなれすぎて全部分かってしまうともう楽しくなくなってしまうのはつらいことだ。成熟というのはしんどいものなのだ。

 

たぶん、騙されたくないわけではないのだ。

そう、ていよく騙されたい、コロっと騙されたい、ただし騙されたことに気づきたくはない。ちょうどいい具合に騙されたい、というのがおおかたの本音だし、何にも騙されないなんて不可能なのだ。

と同時に、騙さないということもまた。

 

人間の愚かさに加わろうとしないのはとんでもない傲慢であり、かえって最悪の愚かさなのかもしれない。

 

あらゆるもののなかでもっとも賢いと思われる哲学者が、発狂したのち

「母さん、僕は馬鹿だ」という言葉を残してこの世を去ったことを思い出した。

 

 

文章:増何臍阿

 

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