二月のある日、港町のとある事務所にやってきた。
面接を受けるためである。
さかのぼること一か月。
わたしは職安を訪れていた。
最初、職安で渡された紹介状に記載の地図は乱雑に書きなぐられたもので、職安の担当者は「分かりやすい地図がいりますか?」と言って、グーグルマップをプリントアウトしてくれた。
ここで気づかなかったのは、勘がにぶいと言わざるをえない。
かなり早く着いてしまった。
こういうとき、わたしは心配性なのもあって時間に余裕を持ち過ぎてしまい、現地でうろついてしまうことがある。
寒いし、会社の近くでうろうろして不審に思われてもと思い、会場に入ることにした。
その事務所は雑居ビルの5階にあった。
重い空気のよどむ古いエレベーターの動作がなんとなくぎこちなく、不安を感じる。
エレベーターを出てすぐ目に前に飛び込んできたのは、スヌーピーのぬいぐるみの山であった。
会社の受付のところに、会社のロゴとともに大量のスヌーピーがこちらを向いてすわっているのである。
女性職員が現れ、椅子を持ってきてくれた。わたしの前の人の面接が長引いているのだった。
わたしは「すいません」と言った。すると女性も、「すいません」と返した。
面接は非常にしんどいものだった。いわゆる圧迫面接というものだった。
疲れ果ててしまった。
わたしが通っていた学習塾に、その面接官(事務所の所長)が講師としていっとき在籍していたという事実も、互いが共通なものを知って親しみを感じるといった方向へとは向かわせず、とにかく折り合いがつかない、といった感じであった。
結果はもちろん予想通り不採用だったのだが、そんな嫌な記憶も薄れかけたころ、ふとあの事務所のことを思い出した。そして、今あの事務所がどうなっているのか、調べてみた。
すると、驚いたことに所長は亡くなっており、副所長が所長になっていた。
なぜ亡くなったのかはそのときは分からなかった。
しかし、さまざまの情報が符号した。
ある団体の広報文に、くだんの面接官のお悔みの記事が掲載されていたこと。
交通事故のニュースの日付と面接官が亡くなった日付が一致すること。
事故で亡くなった人物の肩書が一致すること。
そして、その事故とは、高級外車が真夜中に街路樹などに衝突・大破し炎上したというものだったのだ。酒酔い運転の結果であろうと警察は結論づけたようであった。
わたしは思い出した。
面接官が、無類の酒好きでかつ車好きであったことを。
読書が唯一の楽しみのわたしを罵倒した彼は、享楽的な人生をこよなく愛する人物であった。
人生のはかなさということが言われるけれども、言葉としての抽象的な概念ではなしに、「彼の人生」という、個別具体的な一生に、それそのものを感じる。
彼のことを思い出すたびに、この、漠然とした不安、奇妙な、なんともいえない、不条理や虚無、いや、そういうものでもない、なにかとてつもなくおそろしい何かに接続するかのような、いたたまれない、不思議な思いにとらわれるのである。
文章:Wertschmerz
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