体育会系の人間は支援員に向かないのではなかろうか。
筆者はこれまで、体育会系の支援員を3人ほど見てきた。いずれも自分の気持ちを優先する傾向が強いため、利用者の気持ちはおざなりになってしまっていた。厳しい上下関係の社会を生き抜いてきたことで、対人関係の基礎を学べなかったのかもしれない。
知的障碍者施設において、職員が暴行事件を起こした。体育会タイプでなければ、このようなことはなかったかもしれない。体育会系の人間に福祉をさせたために、最悪の展開を招いてしまった。
暴力事件には発展しなかったものの、支援員の熱血指導によって、知的障碍者が退職に追い込まれるというのを目にしたことがある。他の支援員は止めていたものの、自分の先走る感情にストップをかけることはできなかった。
体育会系はいい意味では情熱系だけど、悪い意味でいうと熱くなりすぎる傾向がある。他人は変えられるわけではないにもかかわらず、どうにかしてよくしようと思ってしまう傾向が強いのは重大な欠陥といえる。他人の心は動かせるものではない。
障碍者の支援員を採用する場合は、体育会を完全に除外する。これを実現することによって、障碍者支援の虐待数は減っていくと思われる。
*体育会系の人間自体が、時代遅れな印象を持ちます。自由を育てていく現代社会においては、癌みたいな存在といえるでしょう。
文章:陰と陽
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