コラム

小説:『出会いはどこから転がり込むかわからない 下』

 

前回まで

小説:『出会いはどこから転がり込むかわからない 上』

小説:『出会いはどこから転がり込むかわからない 中』

 

前回からの続き

第五章 : 一か月後

 

 藤崎から声をかけられなくなって、一か月が経過しようとしていた。

 運命の神様によってもたらされた幸運は長続きしない。椿は一か月前のことをそのようにとらえていた。

 餃子の王将の前を通りかかる。椿はこの店を見るだけで、どういうわけか胸がチクリと痛んだ。女性と親しい間柄ではなかったにもかかわらず、失恋の苦さを味わっているかのようだった。

 街灯の光が目に飛び込んできた。地上を明るくしているはずなのに、どういうわけか闇よりも暗く見える。心理状態が光を認識していないのかもしれない。

 下を向きながら駅の方角に歩みを進めていると、肩に懐かしい感触が突き抜ける。

「こんばんは」

 後ろを振り向くと、藤崎が立っている。椿の中で完全に止まっていた、時計の針は再び動き始めることとなった。

「ここのところ、残業続きで声をかけられませんでした」

 椿は残業することはほとんどない。体の弱いことを伝えてあるため、残業については免除されている。

「今日はお金を持っていますか」

 財布の中を確認すると、三〇〇〇円入っていた。

「それだけあれば問題ないでしょう。私の一年に一度の誕生日なので、プレゼントしてください」

 彼女の特別な日に一緒のときを過ごせる。椿の胸は大いに躍動することとなった。

 テンションの高ぶっている男性に対し、藤崎は頬を指でつっついてきた。これも懐かしい感触だった。

「ノリノリみたいですね。そのようにされると、特別な日を一緒に過ごすことに意義を見出せそうです」

 前回のことなどまるでなかったかのように接してくるので、心の中で安堵することとなった。椿も切り替えて、女性と向き合っていくことにした。

 椿は何をプレゼントしようかなと思っていると、チョコレート店を見つけた。女性は甘いものには目がないので、これを渡しておけばよさそうだ。

「チョコレートを買ってくるので、少しだけ待っていただけますか」

 女性は感嘆とした声を発する。周囲は暗いはずなのに、一点だけ光をともされているように思えてならなかった。

「とっても楽しみです」

 椿は店内で二〇分ほど悩んだのち、スイートチョコレートを用いた、ボンボンショコラタイプを購入。値段は思いを伝えるために、二〇〇〇円前後のタイプを選択する。これなら喜んでもらえるのではなかろうか。

 

第六章 : チョコをプレゼント

 

 退店すると、藤崎は購入したチョコレートを渡した。彼女はそのチョコレートを目にもとまらぬスピードで自分のもとに手繰り寄せる。

 店員は丁寧に包装していたのに、労力は一瞬で無駄になった。藤崎は怒涛の勢いで、中身を確認していた。

「とっても美味しそうなチョコレートです。ありがとうございます」

 藤崎は頭がおなかにくっつくのではないかというくらい、頭を深く下げていた。彼女の心の中の喜びはこちらまで伝わってくる。

 家で食べるのかなと思っていると、チョコレートを一つ口に含んでいた。

「甘くておいしいです」

 藤崎はチョコレートを取り出すと、こちらに差し出した。食べろという意味合いかなと思い、受け取ることにした。

 チョコレートを口の中に含むと、ほんのりとした甘さが広がっていった。藤崎の掌の甘みも加わり、最高のチョコレートとなった。

「すごくおいしいです」

「好きな人と食べると、味は格別です」 

 椿の耳を好きな人という言葉が通過する。藤崎は異性として行為を持っていることに、初めて気づいた。

「僕のことが好きですか」

「はい。私の記念日に交際を開始しませんか」

 椿も交際をしたい思いを持っていた。掴んでほしいという思いを込めて、手をそっと差し出す。

 藤崎はチョコレートをカバンにしまったのち、手を勢い良く掴んだ。二人の間には言葉は不要となっていた。

 

文章:陰と陽

 

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