歴史

世界の歴史上人物 第2回目 ― ダイアナ妃

 

皆様こんにちは!

椎名 夏梨(しいな かりん)です。

 

第二回目の今回はダイアナ妃をご紹介したいと思います。

 

ダイアナ・フランセス(Diana Frances)

 

[1961年7月1日-1997年8月31日(36歳没)]

 

イングランド・ノーフォーク・サンドリンガム・パークハウスにて誕生。

父はオールトラップ子爵エドワード・ジョン・スペンサー(後の第8代スペンサー伯爵)。

 

皇太子との出会い、婚約

 

1977年にウェールズ公(皇太子)チャールズと初めて出会う。1979年に王室のサンドリンガム邸のパーティーで皇太子と再会。

この事がきっかけで親しい関係になり、1980年に交際が深まった。

 

1981年2月に皇太子と婚約。7月29日にセント・ポール大聖堂で結婚式を取り行う。

ウィリアム王子とヘンリー王子の2子をもうけるが、結婚生活や家庭生活、公務についての皇太子との考え方の違いが深刻化。皇太子も1980年代半ば以降にはダイアナと一緒に住んでいるケンジントン宮殿には戻らず、ハイグローヴ邸で暮らす事が増える。

 

別居生活、離婚、そしてその後

 

1992年12月に皇太子夫妻が別居生活に入る事が正式に発表。1996年8月に離婚が成立。2人の王子の親権を皇太子と平等に持つ。

 

離婚後ダイアナは、これまで以上に国際的慈善活動に積極的に取り組む。エイズ問題、ハンセン病問題、地雷除去問題への取り組みに熱心だった。

 

ダイアナの最期

 

1997年8月31日深夜、フランス・パリで交際相手と共に乗車していた車が交通事故を起こしてダイアナは重傷を負う。最寄りの病院へ搬送されたが頭部と胸部に酷い傷を負っており、すでに助かる見込みはなかった。意識を取り戻す事なく、午前4時頃に正式に死亡宣告を受ける。

 

最後に

 

ダイアナが交通事故に遭った際、その車を追跡していたマスコミ達と通りすがりの医師が第一発見者となり、医師が携帯電話で救急車を手配し、救急隊が到着するまで医師と一人のカメラマンがダイアナの応急処置にあたっていたそうです。しかしそれ以外のカメラマンは写真を撮ってばかりだったというのを聞き、正直何を考えているのだろうと思いました。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%83%8A

ダイアナ – Wikipedia

 

文章:椎名 夏梨(しいな かりん)

 

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