京都産業大学の学生が卒業旅行に出かけたことで、コロナウイルス(インフルエンザに変わる脅威)を発症しました。その後も卒業式に参加するなど、ウイルスを撒き散らしました。感染者は数十名にのぼったと報道されました。
わずか一人の非常識な行動によって、在籍中の生徒に影響が出ています。企業の一部はアルバイト解雇、入店禁止といった措置に踏み切りました。京都産業大学の生徒ということだけで、風評被害を受けているようです。
京都産業大学の生徒からすれば大ごとでしょうけど、障碍者の常日頃から受けているものからすれば序の口クラスにもなりません。一部の人間を除いては、障碍を持っているという理由で白い目を向けられ、楽しく生きる権利すら奪われます。健常者は不都合な事実を否定するかもしれませんが、れっきとした事実です。
障碍者が一番の実被害は金銭です。障碍者枠を設けている企業の待遇は、健常者よりも格段に悪くなっています。根幹となる部分となる金銭で、差をつけられているのが現実です。重度の知的障碍者などは、工賃3000円の作業所生活を強いられます(そもそも通所すら認められないケースあり)。
健常者は給料にすらない金額で、障碍者施設に作業を受注していることから、自分の会社さえよければいいという精神で生きているのでしょう。(障碍者を奴隷感覚で扱っている)障碍者がいなければ、経営を成り立たせられない会社も相当数あるものと思われます。
収入は結婚率に直結します。障碍者で既婚者は一割にも満たないのではないでしょうか。最初から結婚を放棄する当事者を除いては、配偶者のいない現実に悲しさを覚えていると思います。
健常者が子供を持っているのを見ると、悲しい感情にさいなまれることも少なくありません。
健常者はコロナウイルスが完治すれば、元の生活に戻る権利を行使できます。満足な収入をもらい、結婚できます。一時的な苦しみを乗り越えれば済みます。
障碍者はウイルスを発症しなくとも、永久的に不自由を強いられるのを避けられません。こんなことをいっていいのかはわかりませんけど、一時的な苦しみを大袈裟にいえる健常者を羨ましくすら思ってしまいます。障碍者に生まれるだけで、コロナウイルスを発症するのが、幼稚園児のままごとに思えるくらいの苦しみを抱えながら生活しています。
*障碍者は苦しくないという人は、高齢化で衰えたときにはっきりとわかると思います。家族からあの世に逝ってほしいという願いをしみじみと感じながら、生きる苦しさを体験することで、障碍者の苦しみを初めて知ることになるでしょう。それまでは障碍者の苦しみをとやかくいってほしくありません。触れるだけで人間としてありえないと思います。
文章:陰と陽