大阪の通り魔事件で被告は二人の人間を殺害した。
一般人が参加する一審で死刑を言い渡されていた。それが高裁で無期懲役に覆り、最高裁においても無期懲役の量刑が確定した。
遺族は死刑を望んでいたと思う。それにもかかわらず、死刑を回避した理由を推察する。
① 死刑を乱発すると、生存者のメリットにならない可能性がある
容易に死刑を取り入れたとしても、殺人を抑止することにはならない。全てに極刑を取り入れると、無差別殺人が増える可能性がある。罪を重くしても、犯罪者を減らせないデータがあるのかもしれない。
②大臣、警察官の心理的負担の軽減
死刑執行に署名する大臣、実際に執行する警察官への負担軽減を目的としている。被告を死へと追いやった、警察官は一生忘れられないといっていた。
③前例と違う判決を出したくない
一度でも確定させてしまうと、後々に影響することになる。被告の不公平だという批判を封じるために、整合性を取っている。人間は過去との変化を嫌う生き物である(一般社会においても新しい考え方は封殺される傾向が強い)。一般感覚を取り入れるまでにはかなりの時間を要するだろう。
④すべての人にメリットになる判決がそもそも不可能
裁判員は量刑の落としどころを探っている。今回は無期懲役というところに落ち着いたのだろう。
死刑判決にすることで、新しい血が流れるのを防いだともいえる。(死刑にされた被告の家族の反発を防いだ)
事件を本当に反省しているのであれば、一審判決後に弁護士の上告を被告自身が棄却している。死刑にふさわしくないと思ったから、裁判を続けたということは忘れてはならない。
裁判員を否定する意見がちょくちょくみられるけど、実際に悪いことをしたのは被告だけ。今回の判決において、裁判員が否定されるようなことがあってはならないと思う。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191202-00000096-jij-soci
©「裁判員制度、何のため」 極刑回避に遺族 大阪・ミナミ通り魔(時事通信) – Yahoo!ニュース
文章:陰と陽