生活

パリの代表、ノートルダム大聖堂

 

フランス、パリのシテ島にあるノートルダム大聖堂が大規模火災を起こした出来事は記憶に新しいが、日本人にとって身近な観光地ではない為、名前だけ知っているという人も多いだろう。

そこで今回は、フランスの観光名所であり世界遺産のノートルダム大聖堂について書いていこう。

 

着工されたのは約850年前

1163年、司教モーリス・ド・シュリーによって現在にみられる建築物が着工され、182年後の1345年に大聖堂が完成した。

1163年というと日本では平安時代にあたり、10円玉に描かれている京都の「平等院鳳凰堂」などが代表的な建築物になる。

ノートルダム大聖堂は今回の大規模火災以前にも、火災こそ無かったものの破壊や略奪により幾度と修復をしてきた歴史をもっている。

 

数多く存在するノートルダム

ノートルダムという名の教会堂は、実は世界各地に複数存在する。

フランスだけで14堂、ベルギーで3堂、ルクセンブルクで1堂、カナダで2堂、ベトナムで1堂、アルジェリアで1堂。

ノートルダムという言葉は日本語に訳すと「notre(私たちの)」「dame(婦人)」となり、これは聖母マリアを指す。

つまりノートルダム大聖堂とは、聖母マリアに捧げられた聖堂につけられる名称である為、同名の教会堂が各地に存在するという訳である。

 

フランスの代表となったパリのノートルダム大聖堂

先程、ノートルダム教会堂は複数存在すると書いたが、では何故パリのノートルダム大聖堂が代表する聖堂となったのか?

一つはフランスの政体変遷が関係している。

歴史を遡ると、パリのノートルダム大聖堂が着工し竣工した時代は王政時代であった。

当時は同国に存在するランス大聖堂(歴代フランス国王の戴冠式の場)や、サンドニ大聖堂(歴代国王の墓所)が政治的にノートルダム大聖堂より重要とされていた。

だが、王政廃止とともにその役割も途切れ、次第に衰退。

王室にあまり利用されずにきたノートルダム大聖堂は、王政廃止後、共和国の権力者が力を誇示する劇場として地位を確立し、第二次世界大戦勝利を祝う式典会場や歴代大統領の国葬会場として使用された。

また、1831年に発表されたヴィクトル・ユゴー代表作「ノートルダム・ド・パリ」が庶民の間で大気となり、聖職者や権力者の為の存在だけでなく、市民にとっても身近な存在として定着していった。

ユゴー『ノートルダム・ド・パリ』岩波文庫

 

千年市民を支え続けるノートルダム大聖堂

パリの観光名所といえばパリのエトワール凱旋門、エッフェル塔、ヴェルサイユ宮殿、ルーブル美術館、ノートルダム大聖堂と数多くあるが、ノートルダム大聖堂はモニュメントとしてヨーロッパで最も多くの訪問者を受け入れている。

ルモンド紙によると40万人以上の生活を支える存在でもあるので、火災で多くの部分が損傷しても、時間をかけ修復しながらこれからも市民を見守り支え続けることだろう。

 

文章:ファンキー後藤

 

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