コラム

与えられることだけでは?

私的な話で恐縮ですが、これを書いている本日より、僕のテレワークが一部解禁されました。

よって、この記事は自宅のパソコンで書いています。

コロナ禍をキッカケに始まった、世のテレワークの流れ。

デメリットもあるでしょうが、メリットの方がデカいと思うの(挨拶)。

と、いうわけで、フジカワです。

僕の家から施設までは、バスで片道40分ほどかかります。

そりゃあ世の中、もっと長い通勤時間を費やしておられる方もいらっしゃる。

ではあれど、「朝に慌てなくて済む上に、移動で疲れない」。

それが果てしないメリットであると思う今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。

今回の記事は、「受動的すぎると、よくないよねー」とかいった話です。

コロナ禍が始まった頃

さて。僕個人の話はさておくにせよ、テレワークという物がずいぶん定着しました。

「リアルな人間関係が築けない」

そりゃあ確かに、そういったデメリットもあります。

ではあれど、通勤というものも、地味に体力を使います。

それに、職場での人間関係というものも、意外としんどい。

ですので、こういう世の流れになったのは、僕としては嬉しいです。

もっとも、どうあってもテレワークができない業種も、もちろんありますが。

ただ、コミュニケーションを取ってナンボの大学生とか。

いわゆるところの「フルコロナ世代」には、悪い影響しかなかったでしょうね。

しかし、待てよ?

その、世間的にテレワークが普及しだした頃。

若い世代の間で、ある問題が出ました。

「パソコンを持っていない」

ゆえに、テレワークをやりたくてもできない、という旨だった。

はて? おかしくないか?

なければ、買えばいいだけです。

値段がー! とか文句を言うか?

お待ちやがりなさい、ボーイズアンドガールズ。

最低限の仕事をするためのパソコンであれば、ですよ?

君たちが律儀に分割払いで買っているスマホより安いぞ?

何? 操作方法が分からない?

覚えろよ。

仕事に必要なんだぜ? 四の五の言ってられるか?

人間、「理由と意欲」があれば、未知のことでも覚えられるもんです。

あの論破王が言った

今や「論破王」の名を馳せている、実業家のひろゆき氏。

僕は別に、彼の熱烈なフォロワーではないです。

同時に、特段に忌避しているわけでもない。

YouTubeなんかでは、彼の動画が山ほどあります。

率先して視聴はしていないのですが、先日のことです。

「日本衰退の理由」

こんな趣旨の動画を、「たまたま」見ました。

「国民が、こぞってタブレットやスマホを買っているから」

結論から申し上げると、こういうことでした。

まさか僕も、事細かに動画の内容を、ここで説明はしません。

「パソコンの普及率が、日本は、先進国の中で最低」

この意見(事実)には、膝を打ちました。

「与えられることしか覚えないため、自ら作ろうとする意志が起きない」

ゆえに、国力が下がる。

メタクソざっくりまとめれば、こういうことです。

パソコン「さえあれば」、誰でもエンジニアになれる。

そういう意味では断じてない。

しかし、広義での「生産性」。

この意味においては、スマホやタブレットよりも、パソコンの方が上。

うん。分かる。実際そうです。

どう足掻いても、タブレットは「パソコンの完全な互換品」にはなれませんからね。

ヒナ鳥上等?

「パソコンは持ち運び出来ないから、タブレットを買う」

一見正しい意見に思えます。

が、結局のところ、「パソコンから逃げている」だけではないでしょうか?

なるほど、必要がないかも知れない。

ではあれど、仕事ともなれば別じゃないですか?

与えられるのを待つだけ。

くれない限り動かない。

さながら、親鳥が運んでくるエサを待つだけの、ヒナ鳥。

大いに問題だとは思います。

「パソコンを使えない新入社員」

そういうのが、昨今増えているとのこと。

実際、各企業でも悩みの種らしいです。

「ややこしい物は避ける」

その方が「楽」ではある。

しかし、長期的に見れば絶対に不利。

ただ、僕としては、ぶっちゃけどうでもいいです。

なぜか?

「やる気のない奴」、「スキルがない奴」。

そういう手合いは、いずれ淘汰されるからです。

「デジタルネイティブ世代とは、スマホの奴隷」

やや過激ながら、そういう意見も見ました。

ある側面においては、言い得て妙だと思います。

道具は使うものであり、使われるものではない。

「我」を持とう

流されるままで、人生がいいように転がった例を知りません。

「我」というのは、「意欲」です。

誰だって、面倒なことはやりたくない。

しかし、「どうあっても必要な側面」。

そこでさえ逃げていては、行く末は敗残者です。

ま、僕ごときがあーだこーだ言っても始まらない。

「観測者」として、行く末を眺めることにします。

んじゃまた。

 

 

文章:フジカワ

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