コラム

多様性という「お題目」

例の婚活については、親が反対したため、始まる前から終わりました(挨拶)。

と、いうわけで、フジカワです。

一応ちゃんと出勤して仕事はしているのですが、なんかふわふわする今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。

今回の記事は、「多様性、とは言えど?」とかいった話です。

時代は変わる

さて。割と最近の話です。

X(旧Twitter)で、こんなポスト(ツイート)を見ました。

投稿者さんが電車の優先座席に座っていたら、一人の老人に難癖を付けられたそうです。

「年寄りでもないのに、優先座席に座るな!」

しかし、その方は障碍者で、手帳を老人に見せた。

すると、こう言われたそうです。

「障碍者が電車に乗るな!」

身勝手というか、傲慢な話もあったものです。

その老人の一例のみをして、全てを断ずることはできません。

「多様性」という言葉が、近年しきりに叫ばれています。

しかし、「関係のない普通の人」。

特に、「好き放題に、はみ出し者を差別できていた世代」。

そういう人達の耳には、まるっきり届いていないようです。

Z世代の結婚観

「Z世代にとって、結婚は『一般的』ではなくなった」

スマホのニュース記事で、こういう趣旨の記事を読みました。

僕自身、それに難癖を付けるつもりはありません。

実際、それこそ価値観が「多様化」している昨今です。

一人で過ごすことに、抵抗のない若者が増えている。

あるいは、結婚そのものに価値を見いださないタイプもいる。

さらに、今や子育てにかかる負担などが激増している。

ゆえに、「あえて結婚しない」選択をするZ世代が、結構な数でいる。

繰り返します。僕は、その事実に対して、何らの文句もないのです。

「普通」という強制力

その記事を読んでいて、思ったんですよね。

深読み、あるいは斜め読みに過ぎるかもしれない。

しかし、記事を読んでいる読者は、Z世代より上であるはず。

家庭を持ち、子どももいる方が多いと思われる。

「結婚しない、子どもも作らない」

そんなZ世代が多い、という記事。

それも立派な「多様性」ではある。

で、ありながら。

「なんて無責任なんだ、けしからん!」

なんか、そういう共感を煽っているように思えるんですよね。

つまりは、自分達が家庭を持って散々苦労してきた。

少なからぬ責任感をも背負ってきた。

で、あるにも関わらず、若い世代がそれを「放棄」している。

もっと言えば、「楽な方」を選んでいる(ように見える)。

「怠惰とは、許されざる罪」

個人的な肌感覚として、世間にはそういう暗黙のルールがある。

それに沿えば、そりゃあ、面白くないでしょう。

Z世代の「全て」がそうではない。

しかし、この手合いの記事の、大半が似たパターンです。

一部のことを、あたかも全体像であるかのように扱う。

そのことによって、世代間の温度差を作る。

褒められたものではないです。

ではあれど。

「一方的なレッテルを貼って、思考をストップさせる」

その方が、圧倒的に「楽」なのですから。

「こんな怠惰な連中より、自分はずっと頑張っているから偉い」

そういう歪んだ優越感も満たせます。

人間とは、いかに些末なことであれ、優越感を得たい。

これ、何度か僕の記事で触れているかとは思います。

どこまで行っても、「そういうこと」なのですよ。

そこに、多様性を認める雰囲気はありません。

想像力の欠如

先に申し上げました、僕の婚活の件。

親と同時に、姉も反対の立場です。

「身内の障碍者なんか、アンタ(僕)一人で十分だ」

ひどい言い草ですが、姉のスタンスは、要するにそう言うことです。

そこに「許容する」、ないしは「歩み寄る」姿勢は皆無。

確かに、弟が言うのもなんですが、姉は傲慢な性格です。

しかし、それを差し引いても、「一般人の考え」が透けて見える。

つまり、当事者ではない人間にとっては、どこまでも関係がない。

むしろ、率先して鼻をつまんで差別する。

最初に申し上げた、電車内での老人も然り。

「だって、自分のことじゃないし?」

寂しい話ではあります。

残念な話でもあります。

「多様性を尊重しよう!」

いかにお上や世間がこう言おうとも。

「自分の物差し(常識)では測れないもの」。

それすなわち、「理解ができないもの」です。

理解ができないものに、思考のリソースを割く。

誰だって、やりたかないですよ。

だって、めんどくせえですし。

なんなら、「普通」に生きていく上では不要ですし。

異質な者に思いを馳せる想像力。

大変残念ながら、大多数の人は持っていないでしょう。

どの口が「多様性」と言うのやら?

個人的な一例

僕の前職時代の話です。

少しお付き合いのあった、ゲーム会社の社長さんがいらっしゃいました。

その方、トランスジェンダーでした。

身体は男性なのですが、心は女性。

しかし、それで何か、交流上の不都合があったか?

そう問われたなら、全然なかったんですよね。

僕としても、別に色眼鏡で見ることもなかったです。

「そういう星の下に生まれただけ」

逆に、マイノリティだからって、差別する理由が分からない。

想像力の欠如。

あるいは、「差異を認める余裕」すらない。

そして、「多数派の安心」に浸っている。

器の小さな話もあったものです。

お題目ですよね

多様性、ああ多様性、多様性。

昨今、耳タコレベルで聞きます。

しかし、「想像力」を持っている人は、悲しいかな少数です。

もちろん、皆無ではない。

「当事者の一人として、嘆かわしい!」

別に、そう言うつもりなんかないのですよ。

想像する努力をしない人間に、いくら言っても無駄ですからね。

障碍の有無や、セクシャリティによる差別や偏見は、許されません。

しかし、「下」を見つけるのは、紛れもない快感です。

今日もどこかで叫ばれる、「多様性」。

意義はあれども、どこか空疎に聞こえます。

「とりあえず流行りだから言っとけ」

もはや、「南無妙法蓮華経」のレベル。

個人的には、そう思います。

切なさを感じて、残暑。

 

んじゃまた。

 

文章:フジカワ

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