最近めっきり目が疲れるようになったので、目薬は欠かせないようになりました(挨拶)。
と、いうわけで、フジカワです。
自分の原稿をやるテンションになかなか持って行けないので、まだ切羽詰まってはいないものの、地味に焦りを感じる今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。
今回の記事は、「煽るだけって、楽だよね?」とかいった話です。
疲れ始めて、梅雨
さて。以前も触れたとおり、ここの記事を書くようになってから、スマホでニュースをチェックするようになりました。
しかし、ここ最近は、なんだか疲れてきました。
どこにか? これは、僕の記事でしばしば触れておりますが、もう一度。
「誇張と消費」
「人の夢を笑うな」
つまりは「異質なものをとことんバカにする」のが、圧倒的に多い。
なるほど、マウントを取るのは快感ですから、それは許容できるかもしれない。
ただ、特に政治関係の記事を読んでいて、どーしてもイラッ☆ とします。
なぜか? それは、「文句だけ言っている」んですよね。
無責任だよなあ?
一例として、昨今、マイナンバーカードを巡る不祥事が色々明らかになっています。
マイナンバーカード、及び制度そのものについて、当初から賛否があるのは、僕も知っている。
確かに、致命的なミスであり、それでもマイナンバーカードを推進しようとするお上には、批判もあって当然です。
この国には言論の自由がありますから、誰が何を主張しようが構わない。
しかしながら、過激な論調であればあるほど顕著なのですが、個人的に気に入らない点がある。
それは、「対案も希望もない」ことです。
話は戻りますが、マイナンバーカードの問題の件。
たまたま見た記事では、ざっくりまとめれば、こんな感じでした。
「マイナンバーカードなんか信用ならないから、自主返納して政権を転覆させよう」
その記事は続きを読むのが有料だったんですが、課金をするつもりなんざ微塵も起きない。
なぜなら、僕に言わせりゃ、便所の落書きレベルだからです。
腹が立つ理由
前掲の記事では、こんな表現をされていました。
曰く、マイナンバーカードを支持する人は、「利権がある人間」か、「盲目的に政権を支持する壷カルト」だけらしい。
ゆえに、
「みんなで揃って、マイナンバーカードを返納しよう! そして政権を転覆させよう!」
と煽っている。
大変下品で不快です。書いた人間の品性を疑わざるを得ないレベルで。
僕は、現政権を特別に支持しているわけではありません。
マイナンバーカードの運用に問題がある事実は揺らがない。
そんな状態で、ごり押ししようとしている政府には、批判の目が向けられても仕方ない。
それだけではなく、政治に不満があるのは、ある意味で自然です。
特に、自分が気に入らない奴がトップなら、こき下ろしたくなるのも分かる。
百歩譲って、口が悪いのは許そう。
しかし、「代わりにどうなればいいか?」という、「対案」がまるっきりない。
その無責任さに、腹が立つのです。
先のことを考えろよ?
政権交代を! という声が多いのは、僕でも知っています。
ですが、「代わりに誰を据えるべきか?」というのが、まるっと抜けている。
いや、「総理になって欲しい人」ってのを挙げる人もいます。
ただ、そういうことを声高に言う人に限ってよくあることがあります。
それは、推している人の、「実務能力」を考えてないのでは? という疑念です。
総理大臣だけで、国が回るはずもない。
政治の素人に、「まつりごとを多角的に考えろ」というのは無理難題です。
そんなの、僕だってできません。
しかし、「トップ『さえ変われば』万事よし」と思っている人が多い雰囲気。
やっぱり、疑問は覚えます。
幸せな人々
また話は戻ります。
仮にマイナンバーカードが撤廃されたとしましょう。
確定申告の際の、e-Tax(電子申告)の仕組みはどうなる?
その他、既にマイナンバーカードありきで成立した仕組みを、どう置き換えていく?
OK、具体案を考えるのは政治家の役目だという意見もある。
じゃあ、せめて「こうなって欲しい」という「希望」ぐらい書けないか?
書いてある記事もあります。
しかし、現政権をクソミソにこき下ろしている記事に限って、一言も言及がない。
あまりに非生産的。
も一つ言えば、不毛。
いや、僕もあんまりこういう言い方はしたくないんですけどね。
文句を並べるだけ並べ立てて、後は知らんぷり。
幸せな連中が多い事です。
楽だもんなあ?
「脊髄反射的に文句を言う」のは、実はすごく楽です。
なんせ、深く考える必要がないんですからね。
そこへ持ってきて、対案も希望もない。
要するに、一般大衆の「けしからん!」という怒りを、いたずらに煽るだけ。
後には何にも残りませんし、虚しいだけです。
そんな(ピー)みたいな記事を書いて金を稼いでいる「自称ジャーナリスト」。
羨ましいのを通り越して、腹立たしいですよ、個人的には。
今のご時世、希望を持つのは難しいかもしれない。
人々の不満も全方位にあるのは、肌感覚のレベルで感じます。
なら、せめて「希望」を持たせるのが、発信する側の役目じゃあないですか?
まとめ
ってことで、まとめます。
ジャーナリズムに、社会や政治の問題点をあぶり出す役目は、もちろんある。
間違いを糾弾する役目も、必要です。
ただし、一過性の怒りを煽るだけ煽るだけなのは、どうなんでしょう?
メディアに責任感を求めるな、という意見もあるでしょう。
しかし、それはそれで、ジャーナリズムの凋落だと思います。
責任なんか、誰だって負いたくないのは真理です。
でも、「一億総無責任」になってしまったら、ぶっちゃけ終わりです。
で、ありながら、その「終わり」を、みんなひそかに待っている。
最近、そんな気がしてしょうがないんですよね、僕は。
すごく極端な表現をさせてもらいます。
「自殺は怖いから、誰かが殺してくれるのを待っている」
まったく笑えません。
しかし、隙あらば足の引っ張り合いをしているように見える今の世の中です。
こんな考えを持っている人も、僕だけじゃあないはず。
その意見は変えないにせよ、僕はとりあえず、自分のことだけを考えることにします。
無駄に心をかき乱されるのは、精神衛生上よろしくないですからね。
んじゃまた。
文章:フジカワ