コラム

コロナ禍の区切り、だが。

YouTubeで「この動画を観れば、宝くじが当たります!」などと謳っている物がありますが、そんな都合のいい話なんかあるわけがねえですし、だいたい、当せん本数が決まってるんですから、全員が当たるわけねえだろうが? という真実(挨拶)。

と、いうわけで、フジカワです。まったく意味がなく、新しいノートパソコンが欲しくなったりする今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。

今回の記事は、「コロナ禍は区切りだけどね?」とかいった話です。

今年のGWは……

3年ぶりに、行動制限のない大型連休ってことで、どこもかしこも(ピー)なぐらいに、人で溢れかえってましたね。

かく言う僕も、久しぶりに映画でも観るか! と思って、何の気なしに近所の映画館へ行ったんですが、「引くわー」というレベルの行列ができてるわ、その列の長さを良しとしても、そもそもお目当ての上映会がソールドアウトだったわで、That’s無駄足でした。悔しかったので、お気に入りのカフェでお茶して帰りましたが。

2023年5月8日……

皆様ご承知のとおり、新型コロナウイルスが、季節性インフルエンザと「感染法的には」同じ扱いになりました。

事実上の、行動規制の「政治的」解除であり、飲食店なども、飛沫防止対策などを、いっせいに緩和したようです。

マスクに関しても、これは少し前からですが、「個人の判断に委ねる」ことになりました。

僕自身、その頃合いを見計らって、ほぼノーマスクにしました。一応、ポケットには、マスクを一枚入れてるんですが。

勘違い、してませんか?

どうも世間的に、「これでコロナ禍が終わった!」というムードなのが、「?」というところです。

実際、メディアでも散々「ウィルスがなくなったわけでも、弱体化したわけでもない」と言われてます。その通り。「終わり」じゃあないんですよ。決して。

え? なら、なんで僕は、マスクをやめたのかって? それは簡単。「マスク『さえしていれば、絶対の安心が保証される』わけではないからです」

もちろん、「ワクチンを『打ちさえすれば』絶対に感染しない」わけでもない。いつだって、リスクは隣り合わせです。

つか、この間、バス停でバスを待っているときのことです。マスク姿の若者が、くしゃみをするときに、わざわざマスクをずらしてました。マスクの意味がないというか、おそらく多数の人々にとって、「その程度の認識」であり、やはりマスクは「記号」なんですよ。

くどいようですが、自己責任!

僕も、これまで通り、こまめに石けんで手を洗いますし、咳エチケットも守るつもりです。

ただ、これは単に、僕個人の性格的問題ではあるんですが、「なんでもかんでも、右にならえ」というのが、何よりも嫌な性分としては、今回の五類移行が、ある意味での「ゴーサイン」に思えました。

いいんですよ。今後、僕がコロナに感染しても、自分の意志、自分の責任において、ノーマスク生活をしているわけですし、「特定の誰か」を責めるような、愚かなことは絶対にしません。

繰り返しますが、マスク「さえしていれば」、「絶対に感染しない」なんざ、ありえない話です。で、あるにも関わらず、「コロナ禍が終わった!」と勘違いしている人々。

縁起でもない話ですが、いわゆる所の「第9波」は、来ると思います。

そして、感染者数が増えたら、医療機関での窓口負担が増えたことに、文句を付ける人が、少なからず出るでしょう。みんな、勝手なんですよ。僕は、そういう風に見てます。

まとめ

ってことで、まとめます。

僕が担当している記事の中では、さんざっぱら「自己責任」という言葉が出てきますが、少なくとも僕の目には、みんな「責任」から逃げてるように見えるんですよね。

いや、僕だって、妙なところで他者への責任なんざ負いたくはないですが、(不可抗力的な要因を除いて)「最低限、自分自身の身体のことへの責任」さえ、「自分以外の他者」に押しつけるのは、ちょっとどうなんだろう? とは思います。

これも以前書かせて頂いたかと思うんですが、「自分以外の、外的要因のせい」にすれば、「思考する努力」をせずに済みますし、何より「楽」ですからね。嫌な話だ。

んじゃまた。

 

文章:フジカワ

関連記事

  1. 色心不二
  2. ショートショート『空から偽札が舞い降りてきたら』
  3. 映画『ゴースト/ニューヨークの幻』をご紹介
  4. ルイス・スアレスの涙
  5. ショートショート:昼休みのひととき「女子社員の会話」
  6. 伊藤裕『なんでもホルモン 最強の体内物質が人生を変える』朝日新書…
  7. 漫画『君たちはどういきるか』【感想】
  8. 気運に水を差したかないものの
PAGE TOP