日本における元凶は体育の授業にあるように思います。どうしてそのように感じたのかを下記に記します。
体育の授業をすることによって、個性のない人間を育ててしまう。
体育の授業では集団生活に馴染んでいくための教育を行います。一見するといいように思えるけど、ロボットのような人間ばかりを生みだすことにつながってしまいます。
ロボットさながらの人材を作り出すことにより、人間の個性を尊重しなくなってしまいます。集団意識といえば聞こえはいいですけど、我慢を強いられる生活を余儀なくされる一面が強いです。
軍隊の時代にやっていた悪い伝統を、現代も引き継ぐのはいいとは思いません。時代に合わせたやり方に変えていかなければならないでしょう。
他人のやってほしくないことをすることで、自分の快感を作り出すから
個性のない人間を作り出すよりも、遥かに罪は重いように感じます。
大半のスポーツにおいては、他人の嫌がることをすることで勝利につながります。野球でいうならバッターの苦手なコースに配球する、ピッチャーの癖を盗んで盗塁をするといった具合です。相手チームにとって嫌なことばかりをしています。
野球だけに限らず、サッカー、棒倒し、綱引き、騎馬戦なども同様です。スポーツのほとんどで、誰かを傷つける=自分(チーム)の勝利につながる一面を持っています。
個人的な偏見で申し訳ないですけど、スポーツ経験者は他人のやってほしくないことをする確率は高いように思います。
人間観の上下関係を作り出す
運動のできる、できないによって上下関係を作ってしまいます。上下関係を作ることにより、いじめを生みだす温床にもなりかねません。
*日本人がやってほしくないことばかりをするのは、体育の授業が原因かもしれません。
文章:陰と陽
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