福祉・医療

障碍者支援で思うこと

 

  障碍者支援を行っているのは一般人と呼ばれる人たち。当事者が悩みを相談しても、ちっとも噛み合わない。

 一年目の新人であっても、一五年目のベテランのどちらであっても目で見える差はほとんどない。ベテランは無駄に時間を積み重ねた、としか思えないくらいに分かっていない。(もちろん、より良き支援者として資質の備わった人物もいることは言うまでもないことです)

 苦しみを分かってもらえないたびに、胸の内に芽生えてしまう。どうして一般人に支援を求めているのだろうか。

 一般人にいじめられていると、疑ってしまう傾向はより強くなる。小学校、中学校時代にいじめられ、その延長線上として支援者に人生を狂わされる。生涯、一般人の魔の手から脱出することはできない。

 当事者が支援事業に取り組めば、苦しみの部分については共有可能となる。ただ、別の問題が発生することになる。

 当事者は基本的にキャッチボールにおいてボールを投げているだけで、グローブで受け取ることを行わない。ボールをぶつけあうだけの関係は、最終的に大怪我を招いてしまう。

 障碍者支援はどちらを取ったとしても噛み合わない。真の光が差し込むことはあるのだろうか。

 ありえないとはわかっていても、どっちも取れればと願ってやまない。

 

文章:陰と陽

関連記事

  1. 発達障碍は、一般人と同じ生き方が不可能
  2. 自分のやり方を模索してみよう【障碍者編】
  3. 勤務中の全面禁煙を取り入れてみてはいかがだろうか
  4. 都道府県で処方してもよい薬の量が異なる
  5. 自分の幸せすらわからない支援員が、他人を幸福にするのははなっから…
  6. A型作業所においては、まじめに仕事すると損をする
  7. 障碍者支援機関との関係を切るのを最終目標にしよう
  8. 障碍者が一般会社で働く難しさ2
PAGE TOP