疲れ果てている時に限って、無駄に悶々とするのは、オスの本能なのか? という疑問について(挨拶)。
と、いうわけで、フジカワです。
ポイ活の結果、貯まったポイントで株を買ったりして、ささやかに(十円前後の)配当金をもらったりする今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。
今回の記事は、「フィクションにも役割があるけどさ?」とかいった話です。
ネットの闇を見た
さて。さすがの僕も、このウェブサイトをご覧の皆様の、年齢層までは分かりません。
が、しかし、大多数の皆様は、YouTubeはご存じでしょう。
色んなチャンネルがありますよね。
気になるトピックについて調べるなり、無目的にダラダラ観てても、割と時間泥棒だったりします。
基本、エンターテインメントですから、どこそこがいい悪い、の問題ではありません。
ただ、いわゆる「溜飲を下げる」系。多数あるんですけど、ちょっと闇深いです。
うっ屈は晴らしたい、でしょうが。
いえね? そっち系の動画、まあ、「勧善懲悪なストーリーを朗読する」系が大半なんですが……
なんか、主人公の設定が、ほぼ漏れなく「孫がいる、還暦前後の女性」です。
ってことは、視聴する層も、それぐらいってことでしょう。
僕もウラを取ったわけではないのですが、ネット上で、社会や政治に対する不平不満を、盛んに言っている層と、被るんですよね。
いえ、これは決して、「不平不満を言うな!」とか、「溜飲を下げる系の動画を観るな!」って意味じゃあないんですよ。
個人的には、「相手の心を軽くする」のが、エンタメの使命の一つだと思っております。
それに、需要があるから供給されるのは、あまりに当たり前の話です。
ただ、ターゲット層が、いかに抜かないと毒とは言え、そんなにうっ屈を溜め込んでいるのか? という現実が恐ろしいのですよ。
何が問題だ?
くどいようですが、いい悪い、じゃあないんです。
ただ、「あまりに需要が大きい」ことに対して、大変気分が複雑なんです。
なるほど、勧善懲悪は分かりやすいですし、カタルシスもあるでしょう。
中には、「個人的に憎い相手」を、ストーリー中の悪役にダブらせて、間接的、仮想的に「成敗」した気になれるかもしれない。
ただ、あくまでも僕個人としては、なんか不毛。
そう断ずるのはなぜか?
傾向的に、「主人公が、ありえないほどの善人」で、「悪役が、ありえないほど極悪、ないしは『あたまおかしい』レベルのアレ」なんですよ。
主人公は最終的に幸せになり、悪役は奈落の底へ突き落とされる。
王道ではありますし、「人でなし」が自業自得の目に遭うのは、快感かもしれない。
でも、なーんか、肌感覚として「不健全」な感じ。
書きながら思ったんですが、「極端」、別の言い方をすれば「味が濃い」。
食べ物でたとえるなら、ファーストフードみたいなもの。
それらを矢継ぎ早に「食べ(消費し)て」、いつまでも「真の意味で満腹」にならない。
地獄の餓鬼みたいだ、と、思います。
もっとも、どこまで行っても「僕個人の主観」ですし、既に確たる「需要」がある分、余計なお世話だとは思います。
厄介なのは……
「フィクションならではの吹っ切れた悪役」のはずが、時として、リアルがそれを上回るんですよね。
野球の大谷翔平選手とか、将棋の藤井聡太七冠とか、「まっとうに」凌駕するならいいんですよ。
ただ、残念ながら、想像を超えて「アレ」な人間が、リアルで結構いる様子。
……リアルなら、何をしても許されるんでしょうか。複雑な昨今。
まとめ
ってことで、まとめます。
先述の通り、既に需要と供給の関係が確立しているものに、今さら、一個人があーだこーだ言っても無駄です。
割り切るしかないですし、実際に僕も、そうできるように努めています。
ただ、ぼんやりと……そのうち、そういう「溜飲を下げる系の動画」の登場人物も、手に負えないほど先鋭化、過激化するのかも知れません。
それはそれで気にすることはない……とは言えど、ごく個人的には、やーっぱり「不健全」なアトモスフィア(雰囲気)。
はい。どこまでも余計なお世話ですね、すみません。
んじゃまた。
文章:フジカワ